島宇宙ってなんだろう? あるいは程度問題
大勢って、どれくらい大勢?
http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/not_issues_on_the_interpretation_of_hist#comments
Apeman氏が「スルーせずに批判すること」を繰り返しても、社会の中で影響される人はいるかもしれないが、俯瞰してみれば、大勢に影響はない。島宇宙的な共存関係を壊すようなものではない。
(中略)
島宇宙化した人々の関心をかつてのように特定少数のものに集まるように取り戻す、というのもないではないが、それはおそらく不可能に近いぐらい困難なことだろうし、現在東氏を批判している面々がそういう方向をめざしているようにもみえない。
人々の関心が島宇宙化して、関心、興味が分散している、という話がある。
さて、島宇宙化というのは、まぁ、様々な方面において、様々な度合いで定義できるだろう。
みんな、それなりに気にしてるものもあり(例:物価。賃金)、一部の人の興味しか引かないものもあるだろう(例:深夜アニメ)。
なのだが、ある種の人達は「島宇宙化してるから、何を言っても大勢で変わらない」という。
ほんとに? そうなの? 誰が何を言っても大勢は変わらないの?
私は違うと思う。
単なるニヒリズム
「どうせ何か言っても大勢では変わらないさ」ってのは、単なるニヒリズムである。
一人の発言の影響力は、必ずしも大きくはないが、世の中は、その小さな発言が集まって、大きな流れを作っている。
ま、もちろん、深夜アニメの作画について熱く語っても、ごく一部にしか影響はないし、それはそれで構わないんだが*1、社会問題は、みんなに影響するだろう?
単純な話、南京虐殺事件否定をする人が大声を出した結果、現在の流れがある。否定を批判せず、放置すれば、否定に傾く人は、より多くなるだろう。「中立」を装って、歴史修整主義に肩入れするのも、また同じ。
程度問題
このブログで何度も何度も何度も書いているが、全ては程度問題だ。バランスだ。具体的な数字と力の配分だ。
「島宇宙」という言葉で、程度問題を一切無視して、「何を言っても大勢で変わらない」とする立場は、私は、単なる無責任であると思う。
また、その無責任の結果が、歴史修整主義を容認する発言となるなら、それは社会に対して迷惑をかけているから、やめてくれ、と、言いたいし、それを「ポストモダンはこういうものだからこれでいいんだ」と崎山さんが言うのなら、それも「やめてくれ」ということになる。
人々の関心が、分散傾向に向かっている、という趨勢自体は、そう簡単には止められないだろう*2。無理に止める必要もないと思う。俺が「百舌谷さん逆上する」が面白いと思っていて、そのことがあなたにとってどうでもいい、ということはあるだろう。
ただし、人間は、ごはん食べて、働いて、セックスして、子供産んで、寝る生き物だ。根っこのところで絶対無視できない問題はある。
私は思う。
例えば、南京虐殺事件否定を信じる人の割合が、日本人の10%だとして*3、それが11%や9%になることはあると思う。
そして、その11%か9%かで、戦争が回避できたり、できなかったりするかもしれない。
それによって日本の歴史は大きく変わるかもしれない。
であるなら、それは私にとって非常に大切な問題で、あなたにとってもそうだろう。
それ故に、私は、日本という国が無事であることを願って努力し、発言する。あなたもきっと、そうじゃないかと思う。
それらを「俯瞰してみれば、大勢に影響はない」という立場に立とうとするのは、大きな傲慢だ。