15年目の日記

時は流れた

なんとなく更新したくなった。この日記の最初が2003年だから、だいたい15年近くが経過したことになる。
昔の文章には力みがあって恥ずかしい部分もあり、今から見ると不正確だったり、言い過ぎたりしてることも多い。
また15年経って色々と変化したこともある。様々なオタク作品、オタクジャンルの勃興と衰退。
その中には、「動ポモ」の記述に合うものもあれば、そうでないものもある。

初音ミクとか

かつて、東は、「デ・ジ・キャラット」の「でじこ」が、

市場の期待に応えるかたちで集団的かつ匿名的に作られてきた
(中略)
このような状況においては、「デ・ジ・キャラット」のオリジナルがどのような作品で、その作者がだれで、そこにはどのようなメッセージが込められているかを問うことは、まったく意味をなさない。

http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20030913/1063343100
と書いた。
実際には、でじこは、明確なキャライメージを持って作られたわけだが、彼が望んでいたようなものとしては、その後、登場した「初音ミク」があるだろう。


初音ミクの基本デザイン自体は、イラストレーターのKEIによるものだが、ユーザーによる利用を大きく認めた結果、本当に無数の「初音ミク」が楽曲と共に描かれ、それらは全て「正しい」ものとして許容された。
オリジナルがあって、それに従属する形の二次創作ではなく、あらゆるファンによる「初音ミク」の広がり全体が「初音ミク」というキャラクターを作り出したと言っていいだろう。

ソシャゲ

ソシャゲが出るまでは、ゲームというのは、パッケージソフトがメインで、重厚なゲームプレイを前提としていた。RPGなら、長いプレイ時間のかもしだす重厚なストーリーの中に、キャラが配置されていた。
キャラがメインと捉えられるゲームであっても、それを支える太い柱として、ストーリーやシステムがあるのが普通だった。


一方、ソシャゲにおいては、「キャラ」の比重は、非常に大きくなった。携帯電話のスペックの限定もあり、キャラ絵と、少ないセリフがメインとなり、プレイヤーは、大枚はたいて「ガチャ」でそれを獲得した。
もちろんソシャゲにはソシャゲなりのストーリーやシステムの方法論があるのだが、キャラの比重が非常に大きく、大量のキャラがデータベース的に配置されてることは間違いない。


その後、携帯電話が、スマホになり、スマホのスペックが上がるにつれて、ソシャゲのスペックも上昇し、様々なソシャゲが現れるようになった。
Fate Grand Orderなどは、Fateシリーズを引き継ぐ重厚な世界設定と、かつてのノベルゲームを思わせる長大な長大なストーリーをソシャゲに搭載し、それが大当たりしたから、世の中面白い。


もちろん、全部のソシャゲが長大化傾向にあるわけではない。ガラケーの頃に比べると、スペック上昇でストーリーやシステムも充実してはいるものの、「暇な時に、ちょろっとスマホ開いて、ぱっと遊べるゲーム」という部分は変わりないため、軽く遊べるタイプのソシャゲが主流であり、可愛いキャラ推しで、ストーリーシステム軽めのものが多い。

なろう小説

いわゆるラノベが、ゆっくりと低調になり、その代わりに出てきたのが、キャラクター文芸と、なろう小説である。キャラクター文芸は、ちょっとおいといて、なろう小説について。


いわゆるweb小説は昔からあったが、「小説家になろう」というサイト発の投稿作品が、数多く商業化され、一時代を築き、これが「なろう小説」である。
なろう小説の特徴は、そのほとんど全てが、「異世界転生もの」であることである。
現代人が異世界に行き、神から与えられた力や、現代知識などで、「無双」の活躍をするというタイプのストーリーが、大変に数多く量産された。


投稿小説サイト「小説家になろう」には、編集者は存在せず、ただランキングのみがあった。多くの投稿者が、ランキングを上げようとした結果、「最適化されたストーリー」が切磋琢磨され、その結果が「異世界転生」ものだったということのようだ。


もちろん、かつてのラノベの「ファンタジーもの」でも「学園異能もの」でも「萌えハーレムもの」でも、基本のパターンに沿った作品が量産されつつ、細かな要素が投下されるところはあったのだが、「なろう小説」は、その速度が異なっていた。


ラノベだったら、ある作品が人気が出て、それを真似した作品を書いて発売されるまでには、数ヶ月以上、かかる。
だが、「小説家になろう」はウェブサイトであり、完結してから投稿するのではなくて、短い連載形式なので、ある作品が受けたら、翌日には、それのフォロワーが現れ、それが受けたかどうかは、リアルタイムでランキングに表示されるのだ!


一世代の時間が短ければ、世代交代による進化も早い理屈である。おかげで、「異世界転生」というジャンルは、すさまじい速度で、様々な名作・怪作が現れた。
ただ、世代交代の速度が速すぎるが故に、飽きられるのも早かった感もあり、異世界転生ブームは、小説においては、徐々に先細りつつあるという印象を受けている(勘違いかもしれないし、これから再燃するかもしれない)。

なべて世はこともなし

ボーカロイドとしての初音ミクは成功し、世界に浸透したが、当たり前だが、全てのキャラが、初音ミク的になったわけではない。大半がそうなったわけですら、ない。
ソシャゲが流行し、データベース的なゲームが流行ったが、FGOのようなストーリータイプのものもある。
アニメや漫画、小説においても、データベース的な部分もありつつ、ストーリーの強さも健在である。


この日記を書いていた頃、自分はストーリーやシステムの強さを重視して、作家性のない、ストーリーの薄いキャラだけ、ネタだけの作品は、成立しないといったニュアンスのことを時々書いていた。それらは今考えると性急に過ぎた。


その上で、データベース的な作品も、1ジャンルを占めるようになったが、かといって、ストーリーやテーマや世界設定が大切な作品も健在である。
ソシャゲが現れたのは、携帯電話、スマホのスペックが上昇した結果、「どこでもできる軽いゲーム」が求められた技術的発展であって、別に、ソ連崩壊やエヴァンゲリオンとは、あまり関係が無かった。
そういう意味では、東氏の説は、あまり当たっていない。


これからも、色々なジャンルが生まれ、また消えていくだろう。その中には、作家性の強いものもあれば、データベース性の強いものもあり、その上で、そのどちからが完全になくなったり偏ったりすることは、あんまりないんじゃないかなぁ。