質問篇 2003/09/11

 区切りたかったので、日を変えました。

 批評的な側面からは書き尽くしたので、ちょっとスタンスを変えて、質問形式に変えてみよう。

 以下は、「動物化するポストモダン」に関して、東氏(id:hazuma)に対する質問である。

質問1

 第1章では、(オタク系文化には)「じつは、日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダン化が与えた歪みの問題がすべて入っている」と主張されてます。

 「アメリカ文化侵略の歪み」というのは、日本文化のありとあらゆるものを説明できる万能理論になります。そういう主張は、きちんと範囲を定義し、検証方法を考えない限り、何も生み出さないと考えます。「動物化するポストモダン」の中では、そうした範囲、検証方法は語られてません。

 冒頭のオタク文化の紹介のところで、こうした検証不能な理論で印象を誘導するのは、論としてフェアではないと考えますが、いかがでしょうか?

質問2

 第2章では、世の中がポストモダン化してることを前提に、オタクを3つの世代に分け、消費の変化を説明しています。

 「世の中がポストモダン化してる」というのも、万能理論で、濫用すれば世のあらゆることを、これで説明できます。

 つまるところ、「世の中がポストモダン化した」というそれだけではなんの説明になっていないと思うわけです。

 「アメリカに占領された文化断絶のせいで、90年代のオタクがデータベース消費を始めた」では、あまりに飛躍してますよね。

 ですから「世の中のポストモダン化」が、具体的にどのようなメカニズムを経て、オタク文化に影響し、オタク文化の中で、どのようなプロセスを経て、ポストモダン化が生じたか、という考察が必要だと思うわけです。

 もちろん、考察抜きで、「理由はわからないが、現在、オタク系文化を観察した場合、これこれの消費活動が観察できる」というのは、それはそれでまとめるに値する論考ですが、そういう控えめな論であれば、「ポストモダンの人間は〜」(p140)というような結論を導くのは性急だと思います。

 この考察の欠如に見える部分については、どう考えられますか?

質問3

 「データベース消費」のところでは、第3世代オタクの本質は、データベース、組み合わせ自体を好んで消費するように受け取れます。既に作品自体を素直に楽しむのではなく、その背後にある「大きな非物語」たるデータベースに興味がいっている、と。

 俺の(そして多分、他の多くのオタクの)感覚では、そんなことはなく、オタクは、相変わらず、面白い作品を素直に消費してると思います。データベース消費をするのは、その面白い作品を楽しんだあとの、余技みたいなものではないかと考えるので、それが実質と言われると反発を感じるわけです。

 なぜ、このデータベース消費が起きるのか、というモデルを考えてみましたので、これに関して、ご意見いただければ幸いです。

質問4

 何かについて論を立て、証明する際は、基礎となるデータを固める必要がある、というのは学問において当然の手続きだと思います。オタク系文化について語るのであれば、オタク系文化の基礎データを押さえる必要があるわけです。

 もちろん、重箱の隅をつついて何もしないよりも、とにもかくにも、モデルを構築することのほうが何千倍も意味があると思います。

 ですから、東氏に対して、一部のオタクからあるような「オタクについて知らないやつがオタクを語るな」的なスタンスは、不毛であり、何も生まないと考えます。

 とはいえ、それは無論、データを軽視していい、ということではありません。間違ったデータについては訂正すべきですし、訂正したデータによってモデルに致命的な欠陥が生まれる場合は、モデルを修正する必要があると思います。

 さて、東氏を巡る議論の中で、「データが間違ってようと、別にいいんだ」的なスタンスを取る人たちがいます。現代思想に悪い意味でかぶれた人の中には、モデルと実証を軽視し、思想さえあればいいんだ的な反応が見られることさえあります。

 こういう反応は、無論、東氏の責任ではありません。

 しかし、東氏の文章の中に、こうした反応を生む部分もあると思います。具体的には、今回の質問1,2で述べたような、モデルを軽視してるように思える論の立て方です。あたかも東氏の中で「世界がポストモダン化している」というのが絶対の事実であり、ありとあらゆる事象を、それに結びつけて語ればよい、というような安直な姿勢に見えてしまうのです(当然、これは私の誤解と偏見かもしれません)。

 そうした姿勢が、その姿勢のフォロワーを生み、実証を軽視する風潮を広めてゆくことの気持ち悪さ。

 これが、私が東浩紀を嫌いな理由です。

 念のため確認なのですが、そうした姿勢がもし見えるとしたら、それは本意ではなく、データを重視し、モデルを修正していくことは必要だと、考えられておりますよね?

質問5

 質問4で書いたような風潮をなくすには、東氏が、今後もデータやモデルを柔軟に修正する姿勢を見せ、またオタク系文化の知識人が、単なる揚げ足、重箱つつきの論評ではなく、モデル全体を踏まえた指摘をし続けるべきだと思います。

 その水準に達しているかどうかはわかりませんが、拙論は、そうした点を踏まえた指摘のつもりです。

 ご考慮いただければ嬉しいです。