id:hhosonoさんに、コメントをいただく。本日記の内容について批判を展開してくださるとのこと。ありがたいことである。

 というわけでまぁ、先制攻撃、というわけではないけれど、日記のスタンスをまとめておく。
 望月の立場は以下の通り。

・大衆文化が存在する。
・大衆文化を類型化させる圧力が存在する。
・よって大衆文化は似たような構造を持つ。
・無論、大衆文化の細かい現れ方は時代、媒体によって違う。
東浩紀の主張は、前提としての圧力(なぜ他の時代と似るか)を無視した議論であり、また、他の時代との差異についても、どのように異なるか、なぜ異なるか、という議論の点で貧弱である。

 例えば、江戸期の読本文化と、現代日本ラノベ文化があったとして、それらに共通点があり、その共通点を作った圧力が市場経済による淘汰の結果であることは容易に考えられる。
 その上で、読本文化とラノベ文化に根本的に違うところは幾つもあるが、その違いが、「データベース理論」で説明できているかは、非常に怪しい、というわけだ。
 「データベース理論」だけでは、読本もライトノベルも一緒のものとして説明できるし、それらの差異、あるいは、時代における差異(70年代より90年代のほうが、萌え=データベース化に傾斜したように見えるのはなぜか)という疑問にも答えていない。

 基本的な立場、認識は、そんなところ。