例によってまとめ

 何度もやってますが、もう一度データベース消費についてまとめてみます。

・人間というのは、飽きっぽい動物です。自分に興味のないものには、長時間注意を向けません。
・よって、不特定多数を相手にする娯楽の場合、短時間で、すぐわかる面白さ(刺激)を用意する必要があります。
・よって、大衆娯楽*1においては、短時間で、わかりやすい刺激が連鎖したものが作られることになります。
・新しい面白さ(刺激)というのは、そうそう発見されないので、大衆娯楽の諸作品においては、先人が発見した、刺激を使い回し、並び替えて作られます。
・以上の理由で、大衆娯楽作品は、データベース化され、データベース的に消費されます。
・大衆娯楽作品市場が成熟すると、そうした状況自体を皆が理解し、メタな立場からの作品や、その消費が始まったりもします。

 さて、無論、大衆娯楽が常に同じである、というわけではありません。
 大衆娯楽の長い歴史の中、時代ごとの技術や文化と結びついて、様々な新しい娯楽が生まれ、消えてきました。

 近年だと、コンピュータゲーム(およびTRPG)なんかは、現代特有ですし、コンピュータの技術を生かした、新しい作品が生まれています。

 ファウストさんの言うように、実写に比べて、デフォルメ絵のほうが真似しやすいことによって、オタク文化でのアニメ絵の充実があるのかもしれません。

 でまぁ、問題は、東氏が、それを「ポストモダン特有」と言い張ってることですね。ポストモダンを広く捉えるならまだしも、「ソ連が崩壊して以降。アニメならエヴァ以降」とか、すさまじくいい加減な指定をしている。

 ファウスト氏はファウスト氏で「シミュラークルが蔓延してオリジナリティが失われて作家が不可能になった」のがポストモダンでアニメでエヴァだ、と言っている。

 ストーリーや、その構成要素、キャラや、その構成要素をデータベース的に把握して、並び替えて消費すること自体は、昨日、今日、始まったことじゃありません。ウルトラマンにおけるウルトラファイトや、怪獣図鑑をはじめとする、数々の(かなりいい加減な)記事類。読本における、男女逆転物*2など、無数にあります。

 大衆娯楽のデータベース性は、ポストモダン的な嗜好の多様化と相性はいいでしょうが、だからといってポストモダン特有ではありません。

 東氏の問題は、「日本がポストモダン化した」ということを前提に、自分の理論に当てはまる点だけを恣意的にピックアップして、証明につかっていることです。
 他の時代には同様な現象はなかったか。あったとして、どう違うか、という審査が杜撰すぎる*3

 この日記上でもあがったような、特撮関連のグッズ、江戸時代の娯楽文化、シェークスピアの諸作における大衆娯楽性。それらとの共通点、相違点を調べて、「現代性」を絞り込んでいけば、面白い議論になると思うんですがね。

*1:といっても、消費する人間は、大衆でなくてもかまわない。飽きっぽい貴族でも王様でも子供でもいい

*2:定番なストーリーの、登場人物の性別を入れ替えたもの。萌キャラ化二次創作ですね

*3:ちなみに、ここ数日の議論は、ファウスト氏に対するものなので、東氏の「動物化するポストモダン」の問題までは、踏み込めてません。まぁこれまでの日記にも書いてますし、また、そのうち