ポストモダンとデータベース消費

 さて、ファウストさんとの議論が長くなってるので、個人的にまとめ。

 まず、ここでしてるのはファウストさんとの議論であって、ファウストさんの理論の正否は、必ずしも東浩紀の理論の正否ではない。
 ファウストさんの言う「データベース消費」とやらが、そろそろ東の議論とかけ離れてきている気がするので、念のため。

 私がファウストさんの言い分として、理解できないのは、以下の3点。

1.二次商品はシミュラークであり、それらが出ることはオリジナルを埋没させ、「単一の物語」を破壊する。
2.それは作者に苦悩を与える。
3.そうしたポストモダン特有の、物語性の凋落とデータベース化は現象は90年代のエヴァンゲリオンから始まった。

 1に関してだけど、「シミュラークル」が「オリジナルを埋没」ということの具体的なプロセスが、よくわからない。

 シミュラークルが、直接オリジナルと混同、比較されるような場合なら、そういうことがあるのはわかる。例えば、偽ブランド品が本物のブランド品を駆逐する、とかね。
 あるいは、もし、消費者が、できのいい同人誌をオリジナル以上に優遇するようなことがあれば、そこには「同人誌の新しい物語」と「オリジナルの本来の物語」があるわけで、「単一の物語」が崩壊した、というのも、わからんでもない。
 また、二次商品ばかりが認識されて、オリジナルが忘れ去られるようなことがあれば、その時も、「単一の物語」が崩壊した、というのも理解できる。宮崎アニメの「魔女宅」は、原作の童話より有名だ、とかね。

 けれど、ファウストさんは、単に下敷きを買うだけでも、「データベース消費」であり、「単一の物語が崩壊した」という。これがよくわからない。

 オリジナルが好きだから、そのよすがにグッズを買うと、「単一の物語が崩壊した」ことになるらしい。別に下敷き買ったからといって、オリジナルの物語が変わるわけではあるまいに。言葉遊びで、そう言ってもいいのだけど、下敷きを買っても、消費者の心の中にはオリジナルの物語が確固として存在し、それは別段、壊れたり変化したりはしていない、ということだ。*1

 2に関しては、これもお笑いぐさだ。下敷きが売れると、作者は苦悩するらしい。

 確かにグッズ展開ができるように萌えキャラでやって、とか言われるのは、必ずしもいい気ばかりはしまい。

 けれど商業でアニメを作る、というのは、スポンサーにお金を借りて、スタッフを養わせる、ということが大前提になる。一人で作ってるわけでもなければ、自分一人だけのために作るわけでもない。スタッフを喰わせ、スポンサーに利益を還元することが大前提となるのだ。

 下敷きが売れるように作ることは当然だし、そうした結果、実際に下敷きが売れれば、それは前提を満たすことになって、プロの作り手にとっては嬉しいことの一つであるはずだ。*2

 無論、スポンサーの意向、そのほかのしがらみを満たすのには苦労するだろうし、理不尽なことを押しつけられれば悩むこともあるだろう。けれど作家性と商業性が単純に矛盾する、と思ってる人は、プロの作り手ではない。両者を満たし、商業的な必要を満たした中で作家性というのは発揮するのがプロなのだから。

「データベース消費そのものが嫌い」というのは、少なくとも、プロのアニメ作家ではない。

 あとまぁ、単純に、例えばアニメ作ってて、できのいいフィギュアが売られたら、アニメ作ってる人も「嬉しいなぁ」と思ったりするだろうに。*3

 3に関してが、一番深刻だ。

 たとえばアニメの場合、「マジンガーZ(72年)」の時点から、スポンサー・グッズ・アニメの緊密な関係は成立している。
 「スポンサーのオモチャを売るため」が最優先であり、物語づくりのレベルまで、完全に、そのことに特化したアニメは、その時代からある。*4
 少なくともそれは90年代エヴァや、それ以降の萌え文化で発達したものではない。

 ファウストさんが言うような「データベース化」(東の理論とは区別されたい)が起きるのは、少なくともアニメや特撮、漫画といった分野においては、時代によって増加してきたものではなく、ジャンル、商業的要請によって、バラバラの時代に起きたり衰えたりしてきたものに過ぎない。

*1:このへん、ファウストさんは昔は、「オリジナルの展開を無視した商品」や「自分好みの展開を描いた同人誌」についてのみ、消費者が混同すると主張していた。そうした作品を、消費者がオリジナルより上におけば、ファウストさんの言うこともわからんでもない。でも、グッズや商品展開の内実、消費者の反応について無知なことを認めた手前、それができなくなったため、こんな珍説を言い出したようだ。

*2:下敷きをいっぱい売れば、実力が認知されて、次の作品が、より作りやすくなる、というのもあるよね。

*3:ポストモダン時代のクリエーターの普遍的な悩み、というのの具体例を聞いてみたら、「グッズ展開のせいで、鼻の穴が描けない」だとさ。

*4:そもそも今、企業がグッズを売る時には、トータルイメージに気をつけて、オリジナルイメージが破壊されるようなものは、なるべく避ける。けれど、70年代は、まだ、そういう戦略ができてなかったので、そりゃもう、原作世界観を無視したひっどいグッズやパチモンが、大手を振って出回っていた。「オフィシャル設定」とか言う言葉が生まれる前の時代。ウルトラマンとかは、色々な記事で好き勝手なその場限りの矛盾した設定が出回っていた。これなんかは、シミュラークルの氾濫とオリジナルの消滅と言えなくもない。