伊藤剛氏は、どこまで天然か

 ここからは、どうやら、この人は、筆が滑ったとかいうんでなくて、本気で、こういう人なんだな、と確信するに至る話。

ただ、ぼくはぼくで、微妙に挑発的な言辞を取ることがあるし、ひとの泣き所を見つけるとつついてみたくなるという悪いクセがあります。あと、懸命に自分を鎧っているひとだとか、攻撃は最大の防御、なんていう姿勢の人をみると、その鎧の隙間を見つけて、相手の心にどんどん踏みこむようなことを、とかくしがちです。

そこは、確かに「申し訳ないなあ」と思うところもあります(「良かれ」と思ってしたことならば、なんでも許されると思っているほど、素朴ではありません。目的は手段を正当化しないというのは、ご指摘の通りです。id:hizzzさん)。

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040819
 一見、悔いているように見せながら、emifuwaさん(および他の関係者)が、「懸命に自分を鎧っている」と決めつけ、自分の発言が、「鎧の隙間を見つけて、相手の心にどんどん踏み込んだ」と主張している。

「ゴメンゴメン、君が必死で守っていた心の傷に、つい触れてしまったぜ! 僕の鋭さってば罪!」
 というわけ。

 謝罪しているように見えながら、相手の内面を決めつけ、かつ、自分の能力を自慢している。

 客観的に見て、伊藤剛氏のしていることは、誰かが、「私はこれを大切にしています」と最初から言ってるものを土足で踏みにじって、「おっと、君の心の傷に触れたかな」「そんな風に怒るということは、これが君の心の鎧だね」とかほざいているのに等しい。

友人の某研究者氏からは、

「伊藤さんは頼まれもしないのに離島に行っちゃう医者みたいなもんだよ。

そこで『私は人を診ない。病気のみを見る』という態度でいればトラブルは起きないのに、やれ栄養を取れだの風呂に入れだのいったり、衛生的ではないからといって、ヨソの家の井戸を直したりして、でも後になって元のままのほうが実は合理的だったということに気づくような」

といわれました。

相変わらず、ざっくりと刺さることをいうおひとですw。

もっとも栄養を取るのも、風呂に入るのも、井戸を衛生的にするのも、すべて「いいこと」だし、必要なことなんですけどね。そういう含意でいっています。

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040820

 これも同じ。
「本当は相手のためになることなんだけど、チョッピリあせっちゃったから、バカな原住民には理解してもらえず、かえって副作用がでちゃったな。テヘ」
 という言い草。
 自分の発言が、完全に的はずれで独善的だから反発された、という可能性を微塵も考えていない。

わはは。ヴァルネラビリティってのはまったくその通りw。またこういうのって、実はうっかり攻撃するほうのダメージがでかかったりするんですよね。■18日の日記で「無意識下の挑発、戦略」ということを指摘しておいたでしょ。あれは、izuminoさんのいうヴァルネラヴィリティとかなり重なりあうものです。だから、ぼくにしても、他の誰かにしても、できることはそれに対していかに自覚的であるか、ということなんですね。その意味では、今回の件でいちばんヴァルネラブルだったのは、おそらくemihuwaさんでしょう。ぼくのとった行動は、あれを「攻撃」と取るひとはいるだろうけど、しかしそれは「優しくしてやる」という程のものでしかない。izuminoさんの「見ていて残念」という言葉からは、そうした含意も感じました。』

http://d.hatena.ne.jp/izumino/comment?date=20040819#c
コメント欄での発言。伊藤剛氏の発言には、ヴァルネラビリティ(可傷性、攻撃誘発性)があったのではないか、という発言を受けたもの。

攻撃じゃなくて「優しくしてやる」という程のものでしかないそうです。
「本当にそうなんだろうか?」というところから客観視は始まるのですよ。

 以上見てきた全ての文章において、「相手を思いやるようなスタンス」を取りつつ、自分の結論を押しつける論旨は明白。
 この人は、心底、自分のことしか考えていないんだな、と。