政治的な姿勢

東:(中略)『動物化するポストモダン』はある意味で権威的な歴史観に立ってるし、ディティールを捨てて虚構的なオタク史を語っている。そこから落ちているものはたくさんあるし、僕自身いくらでも自己批判できるけど、でもやはり、あの世代観や九五年断絶説は大筋では正しいと思ってますよ。それに、あちこちで言ってることですが、僕のような強引な仕事があったほうがカウンターも出しやすいはずです。とはいえ、今回はまずレビューばかりのオタク系言論をなんとかするという目的のためいろいろな詐術を使っただけの話で、今後はまた違った書き方をすると思いますけどね(p136)

 さて、あらゆる論には、文章内容とは別に、政治的な意図があるのは確かです。政治的な意図に自覚的になるのも良いことです。
 で、「動物化するポストモダン」の政治的意図に関する上の文章、どこまで受け取っていいのか、それが問題です。

 風通しを良くするために、ディティールを省略し、権威的に語るのは仕方ないでしょう。でも「虚構的」?

 もし、「虚構的」というのが例えば、意図的に事実をねじ曲げて紹介して、それが政治的な意図であったというなら、控えめに言って問題ある。それはつまり、「俺は俺の信じることのために、デマを流してみんなをたぶらかす。それが俺の意図だ」と言ってるのと同じだからです。
 時々、いますね。何かを正しいと信じてるのなら、そのために嘘をついてもいいと思ってる人。「教祖様は、本当に超能力を持ってるのだから、たまにはトリックを使ってもいいんだ」みたいな。こういうことを言い出す人は、少なくともまともな検討に値しない。

 ここはもちろん、そうじゃなくて、「できるだけ事実に忠実に語りたかったけれど、少ない紙面の中、わかりやすさのために簡略化して大ざっぱに語ったから、ある意味、本当と違ってしまった」ということと考えます。
 「地球は本当は回転楕円体なんだけど、球形と説明せざるをえなかった」みたいな。天動説と地動説の議論をしてる時は、「地球は球体」で十分なわけですね。「詐術」というのも、そのレベルだと信じたいところです。

 ま、言わずもがなのことを書いておくと、「大筋でこれが正しい」と思って出した代表例が、いくつも間違っていたら、大筋もやっぱり間違っているかもしれないのです。ずさんな議論があるという自覚があるなら、東氏は、「世代観や九五年断絶説」を、より緻密に証明していかなければならない。

 「動物化するポストモダン」は手元にあるやつが六刷りです。発売以降、様々な評価も受けたことですし、それをまとめた新たな議論を見たいところです。

 次に増刷する時か、新たな論を述べる時は、でじこの事実ミスを訂正してほしい、と思うわけです(意図的に事実をねじまげ続けるつもりでなければね)。

小谷:やろうとしていることはわかるんだけど、今の段階では、ただの開き直りにしか見えない(後略)

 ぶっちゃけると、上の意見に賛成です。