否認の嵐

東:そもそも、戦後の日本の男性は、一方で絶対的に優位なアメリカ文化に虚勢されつつ、他方でえらくマッチョだという二重性を抱えていて、それがオタクたちにも現れていたと言えるのではないか(p1388)

斉藤:そもそも、なんでそこでトラウマとか言い出すわけ?(笑)

このあたりから、例の「オタク文化アメリカ」の話が始まります。

斉藤:繰り返すけど、第一世代にそういうコンプレックスがはたしてあるのかどうかということは、ちょっと疑問があるんですね。
東:だから、一見するとないんだけど、それは実はコンプレックスを隠しているのだ、というのが僕の主張です。
斉藤:つまり否認しているということでしょう。
東:そうです。
p142

 この「否認」というのも、万能原理で、相手が認めればそれでいいし、認めなかったら「無意識の影響を否認している」ということになる。よくネットとかで議論する際、「それをやると泥沼だからやめとけ」という種類の論法ですね。あるいは魔女狩りの異端審問官。

 それでも「否認」があるかどうかというのは、相手の態度が首尾一貫してるかどうかで判断しますね。つまり、明らかに論理的に苦しい言い訳で「否認」を続けるなら、それはそこに何か隠してるものがあるのかもしれない。

 では、東氏の言う根拠を見てみましょう。
 座談会中であがっている例は、以下の通り。

  1. 庵野の旧かな、極太明朝体などの独特の日本趣味(いやあれ、市川崑だし、とツッコミが)。
  2. ゆうきまさみが「しましょう」を「しませう」と書く。
  3. イデオン』の冷戦構造・終末思想。
  4. 特撮物における右翼性(『愛國戦隊大日本』が、ぴったりはまるような、その体質)

 鼎談の中なので、ある程度は仕方がないですが、しかし、どれもこれも、反論可能性を意識していません。

 1,2に関しては、まず単純に、そういうモチーフが受ける、という説明で済みます。もちろん、受けること自体が、トラウマの産物なのだ、とは言えるかもしれません。では、どうすれば、主観の違い以上なことが言えるでしょう?
 世代によって受け取り方が違えばいいわけです。アメリカのトラウマの影響は、世代によって違うわけです。だからエヴァの極太明朝体や、「〜しませう」のしゃべりかたが、アメリカの影響を大きく受けた世代と、そうでない世代で、人気が大きく変われば、「トラウマ由来である」といえるでしょう。

 実際には、とてもそうとは思えない。「白黒極太明朝体・途中で曲がる」のは、デザインの流行として、色々な世代に受け取られ、そのまま消費された。あ〜るの言葉にせよ、少年サンデーの読者に普通に受け入れられました。となると、それぞれの作家に共通のトラウマ体験があったから、というよりは、「単にそういうデザインが受ける」としたほうが単純な仮定で済みます。もちろん、これらの説明は間違いかもしれませんが、かといって、特定世代にのみ大きな意味があるとか、トラウマでなきゃいけない理由があるとは思えません。

 特撮は、男の子向けの子供番組です。それが右翼的、というかマッチョなのは確かです。しかし、これも単純に考えて、「男の子向け」作品がマッチョなのって、妙な仮定を持ってこなくてもいいんじゃないかと。
 例えば、アメリカでも、子供向けヒーロー番組ってマッチョじゃないんですか? 実際「パワー・レンジャー」は向こうでヒットしたわけですし。

 イデオンくらいに、はっきり政治的意識が見える作品について、これは「日米の関係が前提だ」とか、そういう議論ができると思います。しかし、ここまでくると「トラウマ」と言えるかどうか。単純に、政治を意識して、自分の作品に反映した、でいいんじゃないでしょうか。

 「動物化するポストモダン」にあがった例もあるが、それらはそれらで反論しました。そちらでも書いた通り、「アメリカの影響が皆無」だとは、誰にも言えません。ただし、意味があるだけの影響があるか、というのも、これだけではわかりません。

 「万能原理」となるような仮定を持ち出す時は、しっかりと反論可能性や適用範囲を考える必要があります。

 さて、不自然な説明に固執するのが「否認」の条件だとすると、この場合、「否認」してるのは東氏ということになります。
 理屈で考えても、日本オタク系業界全体に、そうした影響がある、と考えるより、東氏が、そういう影響を見いだしがちである、としたほうが、仮定は小さくて済むからです。

 説明内容が同じなら、俺は、仮定の小さい方を取ります。