2003 09/20

 貯まってる課題があるのだけど、とりあえず、これについて。

 東氏(id:hazuma)は、20日の日記で、以下のように書いている。

凄いといえば、今日のバトルトークの内容もまた凄かった。誰もポルノや表現の自由のことなんか考えていない。問題は「若者が怖い」「若者はヤバい」の一点のみ。そして、その不安を消すためにメディアを槍玉にあげ、国家に管理者としての役割を期待する、というそれだけ。規制賛成が7割近い。こういうのを動物化とかいうんじゃないのか?

 さて、偏ったサンプルで「こんな社会でいいのか」と断言するのは馬鹿げているが、それでも一つ言えることがある。

 それは、「今が」動物化してる、とうわけではないということだ。

 昔は、誰もが権利と義務の関係をきちんと考えて、国家に委譲すべき範囲を考察していた、なんてことを、もしも東氏(id:hazuma)が考えているのであれば、考え直したほうがいい。

 大衆……という言い方はしたくないが、圧倒的多数の人間は、常に、自分の嫌なことを近視眼的に恐れ、その責任を全て他人……国家に押しつけたがる*1。それは、常に変わらぬ人間の性である。

 もしも、それが見えていなかったとしたら、それは、一つには、「言論」してる層と、そのへんの若者A君が、完全に乖離していたからだろう。お上品な本を読んで、それに対して、口答えできるような層というのは、本当にわずかな上澄みでしかない。

 もう一つは、単に都市化が進み「見知らぬ若者」が増えてきたからだろう。知っている若者なら、大人の暴力で村八分にできたから怖くなかったのが、知らない若者が増えて恐怖が増したわけだ。でも、こういう、「自分の理解できない若者」に対する恐怖は、ずっと昔からあった。昔の大人に「自分と価値観の違う若者と積極的に対話しようと言う姿勢」があったわけじゃない。

 「俺の理解できないものは、全て排除されるべきだ。国がそれをやるべきだ」というのは、人間を動かす、ものすごく大きな行動原理である。それを過小評価した議論からは、何も生まれないと思う。

 もちろん、こんな社会で良いわけがない。過去も。現在も。

*1:国家に対する信頼……大きな物語は、崩壊したんじゃなかったっけ?