シミュラークルという戯言

 東(id:hazuma)は二次創作をデータベースとシミュラークルという概念で位置づける。

 データベースへの批判は、これまで、何度も書いてきた通りである。特定のデータベースの内容を組み合わせて、そこから作品を作るのは、娯楽作品に一般的な作り方であり、ポストモダンとはなんら関係ない。

 次に、東は、ポストモダンでは、原作、二次創作の差異が失われ、両者とも、データベースのシミュラークルに過ぎないと指摘する。

 これは、これだけでは意味のない言説である。

 オリジナルと二次創作の差異が減ることもあるが、無くなることはない。二次創作にもオリジナリティを志向する面は常に存在する。

 シミュラークルだとかオリジナルだとかいうのも、意味のない話で、単純に、現実は、その両極端の間のどこかに存在する。

 意味ある言説は、その「どこか」を位置づけるものであろう。

 東の、この「位置づけ」は、ことごとく失敗している。

 東は、シミュラークル志向の例として、ノベルゲームやマッドムービーを例に挙げ、それらは「原作と同じ価値を持つ別のヴァージョン」を目指したものであり、「盗作やパロディやサンプリングとは本質的に異なる意識」だと言う。

 実際問題、既に書いた通り、マッドムービーやノベルゲーにおいて、「原作と同じ価値を持つ別のヴァージョン」を作ろうとするものは、ほとんど存在しない(作れるにも関わらず、だ)。特にマッドムービーにおいては、原作はサンプリングの素材でしかない。

 マッドムービーはさておき、二次創作同人誌や同人漫画のほとんどは、確かに、原作を自分のものだと言い張る盗作ではない。原作に批評的な視点を持ち込むパロディでもない。原作の意味を無化し、全く別の文脈で新たな意味を与えようとするサンプリングではない。
 ただそれは、「原作と同じ価値を持つ別バージョン」への渇望でないことは確かだ。もしそうなら、東の言うように、原作の絵をそっくり使ったノベルゲームの外伝が、数多く作られているはずだ。

 実際には、同人誌において、原作と同じ絵を描けること、同じ文体で描けることが志向されているわけではない。
 そこには、ある種の自分だけのオリジナリティへの希求がある。