郵便的不安たち#

セカイと個人の間

人間関係と「世界の終わり」を短絡するというこの点で、新井素子はオタク的世界感覚をよく現していた小説家でした。そして九〇年代には、その短絡が全面化してしまっています。 郵便的不安たち#p65 東(id:hazuma)の理論だと、九〇年代はポストモダン化し…

小さなオリジナリティ

東は、二次創作のシミュラークル、非創作的なところばかり強調した結果、現実を無視した粗雑な割り切りをすることとなった。 ここでは、逆の側面……すなわち、原作が持つオリジナリティ、二次創作が持つオリジナリティの方向を見てみよう。 まず最初に述べて…

シミュラークルという戯言

東(id:hazuma)は二次創作をデータベースとシミュラークルという概念で位置づける。 データベースへの批判は、これまで、何度も書いてきた通りである。特定のデータベースの内容を組み合わせて、そこから作品を作るのは、娯楽作品に一般的な作り方であり、…

「動物化」したのか?

さて、これまで、東の言う「動物化」が、90年代特有の現象とは言えないことを述べてきた。とはいえ、昔から「動物化」の要素があったからといって、現代が動物化していない、と言い切れるわけではもちろんない。 では、実際に「オタク」は、あるいは「日本社…

「動物化」の文脈

以上を踏まえた上で、「動物化するポストモダン」以外で、東が、「動物化」をどのような意味で捉え、どのような意図で使っているかを調べてみよう。 僕としては、「考える主体」としてではなく、「生きる身体」「生かされる身体」としての人間という感じで使…

動物化について2003 09/22

東(id:hazuma)の文章で何度も使われる「動物化」の意味を、いくつか抜き出してみよう。 東は、人間的な欲望と、動物的な欲求を対置し、社会的な関係の中で作られていくのが欲望、単純に欠乏を埋めて満足するのが、欲求としている。 したがってここで「動物…

昔は良かったって言えるわけ?

東氏の言葉だと、昔は「象徴界が充実」していて、一人一人がきちんと主体的に言葉を通じて、相手とのギャップを埋めようとしてたわけだけど、今は断片化されたタコツボ言語を、一人一人が「おしゃべり」として消費していくに過ぎない、ということになります…

大きな物語の不全って結局ナニよ?

まぁ、そんなわけで、拙い言葉で、少しは「大きな物語の不全」を埋めてみます。 さてさて、世の中が複雑になればなるほど、自分のできることが相対的に小さくなる、と言えるでしょう。 すっごく昔の、小さな村の話。おっとうは毎日木を切りにゆく。こういう…

『存在論的、郵便論的』からより遠くへ    3:それって間が無いんじゃない?

ただ、問題なのは、ここからです。 一〇代の少年が、「なぜひとを殺してはいけないの?」という問いにいきなり行ってしまうわけです。ここまでの話から分かると思いますが、この問いに既成の言葉で答えても意味はありません。そもそもそのような疑問は、言葉…

『存在論的、郵便論的』からより遠くへ    2:象徴界とかなんとか

東氏は、幾原氏の言葉を引いて、「今の若者は、恋愛と、世界の終わりだけしかわからなくて、間がすっぽ抜けてる」と喝破します。うん、これも、とってもよくわかる。 それを、東氏はラカンの概念の「象徴界」というのを持ち出す。「象徴界」とは……と言いだす…

『存在論的、郵便論的』からより遠くへ    1:タコツボはいかんだろ

これ読んで、ようやく、東氏(id:hazuma)の問題意識の一端がわかりました。 現代は、人と人との間の共通の話題がなくなって、みんなが自分の趣味的領域なタコツボで自足するようになる。価値観の違う人と話そうという動機も必要もないから、タコツボの中で…

  2003/09/17*2

やっとのことで、読み始めました。この日記に関して、「批評するなら、ちゃんと本を一通り読んでから書け」という非常にまっとうな指摘をいただいています。 理由は、いくつかあって、一つは、全部読み終わってから、まとめて「東浩紀論」を書くのはモチベー…