オタクとかポストモダン化とか世代論とか

 上記の手法が使えるのは、もちろん、人種だけではない。むしろマーケティングなんかで、よく使われている。

 うちの製品を買うのは、どういう層か? それを例えば、年齢別、収入別、趣味別、とにかく色々なデータを放り込んで、それぞれ、あるいは、その組み合わせた全体に、どういう相関があるのかを調べる。

 結果として現れる巨大な立体をベースに、例えば「立体がこのへんで膨らんでるのは、20代から30代前半の独身層がメインで買っているからだね」とか言えるわけだ。

 もちろん、これは、「オタク」について「社会全体の動向」についても、応用できる。するべきである。
 オタクについての定義が分かれるというなら、その定義の分かれっぷりだって、分析できる。どんな層が、どんな風に、オタクを定義づけていて、意見が一致するところと離れているところとかだって、立体で表せるのだ。

 東(id:hazuma)の議論を見て、引っかかる点があるのは、そうした調査をしていない、というだけではない。どうも、オタクやら社会やらを、こうした立体で見ていないような気がするからだ。

 だっていくら本を読んでも、東の心の中で、オタクという立体が、どういう形で、どんな色に塗られているのかが見えてこないんだもの。

 そこに見えるのは、クラゲとヒトデとモノリスをかけあわせたような複雑な立体の、全高だけ測って得々と語っているような姿だ。

 もちろん、全高だって、意味はある。でも、いくらなんでも全高だけで立体の全部を語ろうとするのは無理だろう。
 それ以前に、どうしてそれが全高だと分かったのか? 置き方を変えれば、全高も変わるだろうに、その置き方が一番いい、という根拠は何か?

 そんなものは見えてこない。彼はただ、「ポストモダン化」という一本の物差しを振り回し、その必然性も限界も問おうとしない。

 恐ろしいことに、オタクだけでなく、社会全体についても、そうらしいのだ。

 こんなことを平然としていられるのは、「どうせ物事はフクザツなんだから、何を言っても一面のシンジツだぜ」と思っているからだろう。そんなものは、ただの知的怠慢でしかない。