学者と芸人

 前から思ってはいたのだが、東氏(id:hazuma)の文章に対して、学者の文としての批評は意味がないのかもしれない。彼は、芸人と扱うべきなのかもしれない。

 「政治的」、「パフォーマティブ」……言葉は何でもいいが、書かれている内容自体よりも、書いた意図のほうを優先するのは、俺に言わせると、学者ではなく芸人だ。

 もちろん、学者でも自分の発表の引き起こす結果や、その意図についても考慮はする。でも、だからって内容をないがしろにすることは許されない。

 芸人というのは、受けを取ることが目的で、言ってることの真偽はどうでもいい。

 なぜ、今さら、そんなことを言うのかといえば、東氏の29日の日記である。

bk1での、この企画の感想が書いてある。

 ここでは「動物化するポストモダン」は、(話の流れの中で)「高級なトンデモ本」と批判され、ピックアップが恣意的だし、でじこはそうじゃねーだろ、とか、筆者も含めて、皆が思うようなことが書いてある。

 それに対する東氏の反応は、詳しくは日記を見て貰えばいいが「このお三方が作られているゲームもやっているので、何を言われても構わないですね。楽しませてもらいました。」というもの。

 尊敬するゲームクリエイターの話題に、自著が登ったことが嬉しいのは分かるが、学者なら、内容に対する批判に、きちんと答えようよ、と思うわけだ。で、芸人なら「受けが取れてラッキー」というのは、当たり前の態度ですね。

 相手の「意図」とか言いだすときりがないので、今までは、そうした政治的な批評は避けていたけど、そろそろやってもいいかもしれない。芸人として、彼は、何を目指し、それは、果たして成功したのか。その視点の批評も、いずれ行おうと思う。