書評のあり方

 ときどき、「書評者は、読者に買う気を起こさせてはじめて一人前だ」とか説教を垂れるひとに出会うことがあるが、「そりゃ書評じゃなくてただの宣伝だろ」というのが僕の考えだ。批評は批評で独立したもので、創作の腰巾着になる必要はない。異論もあるかもしれないが、まあ、ともかく、僕はそういう考えのひとなのだ。

 本日の東氏(id:hazuma)の日記より。

 さてもまぁ、えらく簡単に切り捨てたものである。こんなのは異論もなにも必要なく、ただのTPOの問題に過ぎない。

 ひとくちに書評といっても、さまざまな需要がある。中でも多いのは、本の紹介である。様々な本が出る中、どれを買ったらいいのか。面白そうな本が、でていないか? そうした情報を求める人が読む書評である。

 そういう需要に応じて選者のほうは、これは面白い、読んだほうがいいよ、という本を選んで紹介するわけだ。

 言うまでもなく、こういう書評は、読者に買う気を起こさせて一人前である。*1

 こうした書評の場合、欠点と美点を公平に並べればいい、というものでもない。これから読もうとする人に対して、欠点をあげつらって第一印象を悪くすることは、必ずしも読者にとって親切ではないからだ。

 誤解を恐れずに言えば、こうした書評は宣伝であって、いっこうに構わない。書評者が宣伝に値する、と考える本を紹介すればいいのだ。

 無論、そうでない書評もある。本の内容に関して細かく批評するような書評も存在する。

 語の本来の意味からいえば、後者のほうが「書評」であって、前者のほうは「紹介」なり「ブックガイド」なりと言ったほうがいいかもしれない。とはいえ、一般に「書評」と言われるコラムで、圧倒的に多いのは前者である。

 でまぁ、大切なのはTPOである。文芸評論が求められてる時に、「今月のオススメはコレ! 騙されたと思って買ってみて!」じゃ話にならないし、ブックガイドを見に来た人に、詳細なネタバレ批評を読ませて、うんざりさせてはいけない。*2

*1:それはそれとして書評のほうなのだが、「いちおう批評家らしきことを記しておくと」と言ってる割りに、西尾維新の新作が佐藤友哉に似てるというだけで、何の批評にもなっていない。「佐藤友哉ファンなら、西尾維新の『きみとぼくの壊れた世界』はオススメ」というブックガイドとしては意味があるのだけどね。東氏のページの読者傾向からすると、佐藤友哉ファン、西尾維新ファンは多いから、ブックガイドとしては正しいが……批評としてはダメな文章だなぁ

*2:無論、TPOを満たした上で、その両方である文章があってもよい。ブックガイドとして提供されるが批評としても読める文章とか、読むと原著を読みたくなるような批評とか。ただ、ブックガイドなら、まずブックガイドとして、読者に読む気を起こさせるのが第一目的であり、それを果たさずに、「これは批評だから」と言い訳するのは許されない。東氏の言ってることは、どうもそのレベルのように思える。