リローデッド

 で、次号では、まず「リローデッド」が、単体で解釈の欲望を刺激しない原因から語ってくれるらしい。

 「リローデッド」が、つまらないのは同感である。

 ただコレ、解釈の欲望を煽る記号だけは、きっちり入ってるんだよね。

 基本的なトーンは、二元論の否定。救世主伝説は反転し、人間vsコンピュータに、第三勢力として独立した人工知能が関わってくる。確定した未来とループする世界観のお約束も標準装備。

 なのに、なんで、こんなに面白くないか。

 俺に言わせると、このへんの設定がストーリーの中で、まるで生きていないから、ということになる。
 娯楽作品の基本フォーマットは、主人公の葛藤と決断を通して見る者の感情移入を煽る、というものだ。ここで萎えると、解釈の欲望も何もあったものじゃない。

 1の時、ネオは、そうした葛藤を持つ人間だった。序盤の現実崩壊感覚はリアルだし、どっちの薬を飲むか、という選択は、古典的だが、よくできている。

 2の場合、なにせネオは超人なので、ほとんど葛藤を持っていない。救世主伝説が偽物だった、とか言われても、それはネオの心の葛藤としては、それほど発展しない。
「いまさら、そんなこと言われても、俺、頑張るしかないじゃん」ってなもんである。

 エージェント・スミスとの戦闘も、実に必然性がない。戦う動機もないし、本当に単なる時間稼ぎにしかなってない。勝敗も持ち越されちゃうし。

 悩んでるのはモーフィアスなので、そっちが実質的な主人公なのかもしれないが、どちらにせよ中途半端である。

 まぁ脚本の練りが甘いということだ。もしくは映画一本で展開するにはネタが多すぎたというか。

 逆に言うと、これだけ、いい加減な脚本で、それなりに楽しんでる人がいるということは、解釈する欲望を煽る部分は、そこそこよくできている、と言っていいのかもしれない。

 東氏の文章の流れだと、多分、「説明を増やしただけで、曖昧さがなくなったから」というあたりに落とすのかな。まぁ次号が楽しみである。