マトリックスってどうよ2?

 さて、マトリックスのメタ批評の続きである。
 前回、「作品論的な視点から批評する」と言う東は、今回で、「マトリックス」の魅力を以下のように分析している。

メタフィクションと映像批判と消費社会批判の3つの軸が交差するところに立ち現れたエンターテインメントだった

 では、3つの軸を見ていこう。

 マトリックスが「メタフィクション」……ベタに説明すれば、現実が虚構で虚構が現実で……といったストーリー構造を持っており、そこが興味を引きつけるポイントになっているわけだ。これはもう、言うまでもない。
 無論、メタフィクションなら何でも反響を呼ぶわけではなく、そうしたメタフィクションに対する興味……「解釈の欲望」を増幅させるのに、どのような手段が使われているか、というのが、先月の連載で言っていたことである。

 で、その手段だが、東の言うところでは、「映像批判」と「消費社会批判」だということになる。

 映像批判というのは、ハリウッドでもてはやされるCG演出と世界の危機に対し、「そんなにCG使って、世界を破滅させたいのなら、この世界そのものが全部CGだという設定にしちゃえばいいじゃん」と開き直り、それによって、リアルに細かくて、かつ、嘘臭いまでにド派手なCGを出したということである。CGによってCGの使用自体に批判的な映像を作り出したというわけだ。

 消費社会批判というのは、要は、我々のいる、この現実自体が虚構っぽくなっているところを映画に取り込んだ、ということらしい。コンビニとファミレスとマンションが延々立ち並ぶ人工的な街並みにいる時。そんな時に我々が感じる虚構っぽさを、映画の「現実」であり、かつ、「その現実がCG」としたところに、社会批判がある、と。

 で、続編では、これらの批判がなくなっているから、つまらない、ということだそうだ。