データベース消費の普遍性
東が問題にしているのはオタクはその登場人物たちをデータベース化して消費する能力を手に入れている。ということでしょう。
TVシリーズのシンジは誰を愛すということもない、けれどもエヴァの消費者たちはそのデータベースからシンジ×アスカやシンジ×綾波やシンジ×ミサトやシンジ×カオルあるいはキャラ単独イラストで、と無数にシミュラークルを好きなようにエロティックに消費することができる。
それは光源氏なりカサノヴァなり色男が次々に女性と恋愛をしていく、あるいはロミオとジュリエットのような一度きりの恋を消費する、そういった単一の物語としての古典的エロとは違う消費をされている。同じエロで捕らえてもそこが新しい。
ファウスト氏にいただいたコメントである(適宜改行をいれさせていただいた)。
さて、ここでは、物語を要素に分解して、自分で新しい物語を作る能力が、新しいもの、と認知されている。本当にそうだろうか?
いかに引用するのは、id:yms-zun:20040224にて、ご指摘いただいた部分である*1。
東浩紀氏がどう言つてゐるかはともかく、萌えアニメの消費のされ方とかデータベース化が云々とかシミュラクールとかを論じるならばエヴァより先にウルトラマンと仮面ライダーを軸に子供向け特撮番組の歩んできたあらゆる道程に目を向けるべきだ。さうすれば、「エヴァ以降」とされる諸現象が少なくとも歴史的にみて特段珍しいことではないことは分るはず。
俺が子供の頃、ウルトラマンシリーズに夢中だった。怪獣カードや怪獣図鑑を読みあさって、記憶力を浪費し、ソフビの怪獣を買ってくれと親にせがんだ。
で。男の子に、怪獣ソフビを二つ以上与えたら、まず間違いなく、その子は、それらを戦わせようとする。そりゃもう、順列組み合わせを消費するかのごとく、色々なパターンを無尽蔵に。一日中。幸せそうに。
ついでにいえば、そこにウルトラマンじゃなくてゴジラ系列のソフビがあっても、その子は、喜々として混ぜ合わせるだろう。
そうやってるうちに、オリジナルなキャラ設定ができたりするんだ。*2
子供の発達心理学の本かなんか読めばでてくるだろうが、子供の頃から、人間は、そうやって物語を紡ぐ能力を持っている。
エヴァに限らず、物語のキャラを与えられて、それをデーターベース化して自分で組み合わせてお話を作る能力は、誰にでもある基本的なものだ。そうした消費のしかたも普遍的なものだ。*3
もちろん、人形あそびは人形あそびに過ぎない。そうした俺ストーリーを大規模に共有できる環境が整った現在は、非常に面白い状況にある、と言っていいだろう。
とはいえ、そういう発想や行為自体は、昔からあったもので、ストーリーがあった時、それを「データベース消費」するのは人間の基本的な特性であることは、確認しておきたい。ポストモダン特有というなら、どのあたりが特有なのかを、はっきりしないといけない。