近代とか

id:izumino:20040223#p1さんも書かれてるけど、そもそも素朴なエンターテイメントは、別に近代とやらを通過したのかという問題がある。

まず広い意味での社会構造の変化として、近代は、全ての人に影響を及ぼした。娯楽が大量生産され、テレビが見られるということ自体が近代の影響化だ。

ただ、ここで語られているのは、それらと並行しておきた思想上の様々な変化だ。

例えば思想史において、また法や政治の基盤となる議論において、「近代」という前提が生まれ、やがて、それが解体された、というのは、とっても理解できる。そこにいる人たちは、皆、近代が何かというのを知る必要があった人たちだからだ。

一方で、世間の全部が思想としての「近代」に目を向けていたわけではない。横町の八っつぁん、熊さんみたいな連中が、「おいおまえ、近代って知ってるか?」「ん、バカにすんなよ。近代ってなぁ……アレだ。人間精神がどうとかってやつだよ」「どうとかってなぁ、どうなんだ?」「どうとかはどうとかだよ。なんだ、その、つまりな、人間の心ってなぁ、銅とかでできてんだよ。金属が大切だってことよ」「へぇ! さすが熊さん、物知りだね」みたいなことをやってたわけで。

そういう人たちを相手にする娯楽において「作家性が不可能になることで(略)」などという思想的問題は、(極論すれば)発生もしないし、通過もしない。だから、そんなことを言うのは、まぁ、なんか勘違いしてるとしか思えないわけだ。

もちろん、東は、そんなつまらないことを言いたいのではなく、ポストモダンのもたらした時代の変化が、思想を意識しない人を含め、いかに影響を与えたか、ということを語りたいのだろう。ただ、それをするためには、フィールドワークや具体的なデータが必要となる。そして、それは東の論考には欠けまくっているなぁ、というわけだ。