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議論の後半で、北田および東は、オタクと主婦が、社会的に作られた地位であるにも関わらず、当人たちが、それを自分の本質だと考えている点で類似している、と指摘する。
順番に見てゆこう。
まず、オタクが社会的に作られた地位であるということ。それはそうだろう。消費者としてのオタクは、様々な社会的な構造から生み出されたものだ。
次に、オタクが、それを自分の本質だと考えたがること。
東:ええ。オタクたちは、「オタク遺伝子」とか「オタクの血」とかいう言い方が妙に好きなんです(笑)。オタクの欲望はオタクにしかわからない、自分でもコントロールできない独特な欲望をもってしまっているがゆえに自分はオタクなのだと言いたがる。(中略)つまり、オタクの欲望はどんなものなのか、という心理学的な問いよりも、オタクはどうして自分たちの欲望を実体化したいと思っているのか、というメタレベルの問いのほうがよほど重要なんです。これはけっこう謎です。
これ、謎か?
人が、自分の所属する集団にアイデンティティを求めたがることは、十分に一般的でしょ。誰だって自分の存在、やっていることに、深い意味があると信じたいわけだから。俺の集団は素晴らしいと思い、歴史があると思いたがり、そして、それは、「おまえらにはどうせわからない」と言って優越感に浸りたがる。そういう欲望は、普遍的なものだと思うけどな。
別に、オタクだからどうだという話にはなってない。
それとは別に、東は、「社会がオタクを要請する」というのを、過剰評価しすぎている。
東:最近日本のコンテンツ産業はたいへんな注目を浴びていますが、そこで見落とされやすい点が一つあって、日本はオタク系クリエイターも多いけど、それ以上に消費者が多いんです。オタクたちの広大な市場が、いまの「クール・ジャパン」を支えている。そういう点を考えると、僕は、オタクという消費主体は、反社会的どころか、日本社会がどこかで構造的に必要として、つくりだされたものなのだと思う。それなのに、オタクたちは自分の起源を江戸時代に発見したり、病理学的な人格として理解したりする。そういうかたちで「オタクは社会がつくりだしたものである」という起源を忘れさせる仕組みも完成している。オタクという主体の構築はきわめて巧みなんですよ。
「オタクたちの広大な市場」ってのは、具体的に、何人で何億円くらいなんですかね?
海外で受けているコンテンツは「ポケモン」であり「遊戯王」だ。どちらも、アニメに中毒してるような層が主要に見る作品ではない。
今期、オタク的に評価が高かった「R.O.D. the tv」なんかは深夜枠の放送で、しかもフィルムは完成していたにも関わらず、途中で打ちきられる騒ぎだ。
オタク市場なんてのは、その程度で、社会のオタクに対する要請も、その程度のものだ。*1
長くなったので、ひとまずここで。
*1:何度も書いてるがオタク市場というのは、人数的には非常に少ない。ただし、一人頭が払う金額が大きく、また、数字がそれなりに読みやすいという点で成立してるだけのニッチ市場に過ぎない。