まぁ、若い世代が自分の体験を特権化したがって、上の世代が「昔となんも変わっとりゃせん」というのは、万古普遍の(おっと、これも上の世代の決めつけか?)光景なわけですが。

 自分が、上の世代側に立つようになったかと思うと、少し、感慨深いですね。

 さておき。どうもファウストさんには誤解されっぱなしですが、リアルタイムでネットの、コンピュタゲームの発展を見てきた人間として、それらの変遷の大きさ、そして社会の変化のスピードと威力を否定するつもりは、まったくありません。

 ここで言ってるのは、世界の変化のスピードと威力は、一個のスケールで測れるような単純なものではない、ということだけです。

 人間社会というのは、複雑きわまりない構造物です。丸いところもあれば角ばったところもあり、やわらかいとこもあれば堅いところもあり、スカスカなところもあれば、ガチガチなところもある。
 ここに、技術革新や環境変化、それらによる社会意識の変革というストレスがかかるわけです。

 これが、ガラスのボールとかなら、ある瞬間に、きれいにまっぷたつになったりするかもしれません。つまり、ある瞬間に、社会全体を横断する変化が一斉に起きる。
 が、社会はそれほど単純にはできてない。ある分野では、ずいぶん長いことミシミシ音を立てながら、一向に砕けないかもしれないし、別のところはパリンと割れるかもしれない。さらに別のところは、どんどんぐにゃぐにゃに変わるだけかもしれない。あるいはストレスに取り残されて、全然変化しないところもある。それらすべてはさまざまな時間差を伴って起きる変化です。

 無論、同じ時代に、違う部分が変化することも、あるにはあるでしょうけどね。ただ、それは、所詮は、巨大な社会の一部でしかない。多くの部分は、とっくに変化し終えていたり、これから変化するところだったりするわけです。

 ネットでもコンピュータゲームでもキャラグッズでもオタクでも。俺は俺の世代なりに、それらが、変化するのを見てきてます。で、それらの変化はとうてい、「95年にエヴァンゲリオンで全面化」なんて安直にいえるようなものじゃないな、と思ってるわけです。