バブル?

http://www.hirokiazuma.com/archives/000098.html

いま時代はライトノベル・バブルの様相を呈していますが、ブームが過ぎ去っていっても、彼らの作品はちゃんと読まれていくことでしょう。僕はブームにはまったく興味がない(どころか反感をもっている)し、それに乗って本を売ろうとか賞の選考委員をやろうとかぜんぜん思っていないのですが、彼ら3人の文学史的評価に関してだけは、批評家としてきちんと責任を果たしておきたいと思っています。

そもそも「いま」は、ライトノベル・バブルなんか来てません。売上げ的には、全盛期は過ぎている(今後、また盛り返す可能性はあるけど)。

今年は、あちこちで「ライトノベル特集」とか「別冊」とか、そうした仕掛けが増えてるわけで、そういう意味の「ブーム」は来てる(作られてる)ようです。そういうブームにはプラス面とマイナス面があるでしょうが、とまれ、別に、ライトノベル全体が、ここ最近、飛ぶように売れてるわけではない。

その程度の認識もない人が、「文学史的評価」とかできるのかなぁ。
文学史」的に評価するためには、「文学」に精通しなきゃいけない。そして、文学と、ライトノベル的な作品を区別しないスタンスを取るなら、実際にライトノベルやノベルスを、ちゃんと読まなきゃいけない。

そういうことをしてる皮膚感覚がある人なら、「ライトノベル・バブル」なんて、うっかり言えないと思うんだよなぁ。

もちろん、「くだらない娯楽小説の中で、そこから生まれた舞城、佐藤、西尾だけが掃き溜めの鶴の文学だ!」と言いたいなら構わないんだけど。そういう恣意的に取りあげた作品を、そのジャンルを全部無視して、文学界で文学として確立してる作品と、いきなり比較して、うだうだいう系の批評なのかな?