稿を改めるために、日付を変えました。おちついてもう一度。

現在、美少女ゲームライトノベルの接点では奈須きのこ氏の作品(『月姫』『空の境界』『Fate/stay night』)が突出して持ち上げられていますが、これは必ずしもよい状況ではありません。そもそも『ファウスト』は、当初は「新青春エンタ」を編集方針にしていたはずで、だとすると、伝奇作品の系譜よりも、今回評論本に登場していただく原田・元長両氏や、高橋龍也氏や麻枝准氏が作り上げてきた「現代ファンタジー」(佐藤心)の流れのほうが親和性が高いのです。

さて、これを読む限り、東氏からすると、奈須きのこ氏の作品(『月姫』『空の境界』『Fate/stay night』)は、「現代ファンタジー」(佐藤心)ではないことになる。

一方の、佐藤心は、「オートマティズムが機能する 『月姫』から見たギャルゲー運動とその空間」(新現実1号)で、『月姫』を現代ファンタジーの代表例に上げている。

さて、俺は、佐藤心の『現代ファンタジー」の定義が不分明であることを、以下の日記で書いた。

月姫は、普通に考えて、彼の言う「現代ファンタジー」から外れるのではないか。あるいは月姫を含むなら、その「現代ファンタジー」という概念は、広すぎて、別に最近のものではないのではないか、という内容である。

http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040324

もし万一、東氏が、そのへんを読んでいただいた上で、「月姫」を伝奇小説の延長上に位置づけ、「現代ファンタジー」と分離して考えるようになったのであれば、この日記の著者として、非常に嬉しい。

まぁそれはともかく。「現代ファンタジー」の内容を、彼の中で変更したのであれば、そのことをきちんと明らかにしないと、不誠実だろう。

さて、それはそれとして、奈須きのこは、新青春エンタと遠いのだろうか?
「新青春エンタ」の定義は曖昧なので、きちんと論じることはできないが、「新青春エンタ」の代表作の一つが、西尾維新であることは間違い有るまい。

で、端的に言って、西尾維新は、奈須きのこの作品に大きな影響を受けている、と言っていいと思う。
批評的に言うと、そりゃ違う点も多いが、少なくとも表面的に似ている箇所(殺人鬼の闊歩する世界、独特の道徳律、造語多用のかっこよさ等々)は数多く、それによって共通する読者が多いのは、ほぼ事実だろう。実際、「空の境界」は、講談社ノベルで、大ヒットを記録したわけだし。

そう考えると、「新青春エンタ」に奈須きのこが遠い、というのは、どう考えても無理がある気がする。

あと言うまでもなく、原田・元長、高橋、麻枝の四氏は、「空の境界」という長編を完成させ、ヒットさせた(同人版でも、そこそこはヒットしていたはず)奈須きのこと違い、純粋な小説家としての力量は、まだ未知数のはずなので(忘れてたら教えてください)、単純に比較するのは無理がある。

東浩紀氏の動機が、「自分の推してる作家さんより、奈須きのこの扱いが大きくて妬ける」というのでないのであれば、「月姫を含まない、現代ファンタジーの新たな定義」と、「奈須きのこが、新青春エンタに遠い理由」を、もう一度、検討していただきたいものだ。