勝利宣言

 僕は昨年9月号のこのコラムで、「ファウスト」創刊を取り上げた。僕はそのとき、これからは、アニメがオタク的想像力の中心を占める時代は終わり、ライトノベルとゲームの交差点にある新しいタイプの小説がその位置を占めることになるのではないか、と記している。その予想はほぼ当たっている。その後、冲方丁日本SF大賞を受賞し、奈須きのこ空の境界」はベストセラーとなった。滝本竜彦の小説は吊り広告になり、舞城王太郎佐藤友哉は文芸誌で活躍している。「ライトノベル完全読本」など、関連書籍も出始めた。いまや、小説を読む若いオタクを抜きにして出版界の動向は語れない。「ファウスト」は、その大きな流れの最先端と目されている。

 どこから、突っ込んだらいいのか悩むような文章だ。

 まず、オタク的想像力の中のアニメの割合は、2003年9月から、2004年8月現在の間に、そんなに大きく変わっただろうか? アニメは、それほどに失墜したか? 俺にはそうは思えない。
 次に、「ライトノベルとゲームの交差点にある新しいタイプの小説」とやらは、「オタク的想像力」の中心を占めるようになったのだろうか? こちらも、そうとは思えない。東の述べた作家たちは、2003年9月当時から人気があり、それが順調に育っているのはめでたい限りだが、「アニメの位置をゲーム的ラノベが占めた」というのは無理がある。
 最後に、「ファウスト」は、その大きな流れの最先端か? どちらかといえば、極北な気がする。まぁいいけど。

 文芸の世界では、長いあいだ「若い男は小説を読まない」と言われてきた。そして、若い女性向けの小説ばかり生産されてきた(文藝・すばる→綿谷・金原路線)。それはそれでけっこうだが、男性に対するこの決めつけは間違っている。(中略。要約:若い男性だって、ラノベやミステリを読む)。そこには豊穣な市場が拓けており、すぐれた才能をもつ作家も多い。若い男性が小説を読まない、などとは決して言えないはずだ。
 1990年代の末ごろ、僕は機会を見つけては、文芸編集者や新聞記者にそのようなことを言い続けてきた。しかしだれひとりまともに聞いてくれなかった。それにはいまでも怒りを感じているので、現状は見ていて単純に心地よい。ほら、オレが正しかったじゃないか、というわけだ。

 こちらも、つっこみどころの多い文章だ。

 よく知らないんだが、本当に、文芸の世界って、「若い女性向けの小説ばかり生産」されてきたの?
 もしそうだとして、舞城、佐藤が頭角を現した、というのと、「文芸の世界の読者層が変わった」というのはイコールじゃぁない。現在、文芸の世界において、東が勝ち誇るほど読者層は変わったの?
 「セカチュー」みたいな一攫千金ベストセラー狙いの本では、「若い女性向け」戦略は、依然として有効だ。そうした作品は、ライトノベルやミステリでは、絶対におよばない部数を叩き出す。

 新聞記者は知らんが、編集者にとって、「ラノベに若い男性読者がいますよ」は「フーン」というレベルだろう。それは「漫画に若い男性読者がいますよ」というのと同じで、ライトノベル読者を取り込む実際的な方法論がなければ、何の意味もない。
 で、ライトノベル、ミステリ系読者を取り込むのは、至難の業で、現在においても、ほとんど成功していない。
 かろうじて、舞城、佐藤が成功しているが、彼らの場合も、「両方のジャンルで受けた」のであって、共通読者を取り込めているか、というと難しいところだ。

 状況は、別に変わってないように見えるし、東が勝ち誇るようなことは何もない気がする。