共同討議 冒頭

 それは歴史の断絶ということです。一九九五年が『新世紀エヴァンゲリオン』の年で、一九九六年が『雫』の年なんですが、それ以降、僕たちの周りの作品にはひとつの共通したフォーマットがあったと思うんですね。ひとことで言うと実存主義化で、『エヴァ』以前には、思春期の悩みがストレートにアニメやゲームで表現されるのは決してメインストリームではなかった。けれども、一九九五年以降は、美少女ゲームだけではなく、サブカルチャーのチープをまといつつ、トラウマや癒しをテーマにした作品がぱっと増えた。これは『エヴァ』が作り上げた独特のパラダイムと言えると思うんだけど、奈須さんや冲方さんというのは、そこから連続しているようでいて切れている。

 東氏の妄言。
 この人、世の中全部がエヴァで回ってると思ってるよ。
 「思春期の悩み」を書いたアニメなら昔からあった。
 エヴァ以降、エヴァっぽい作品は雨後の竹の子のように出るわけだが、そうじゃない作品も、当たり前のように出ていた。
 みんながみんなシンジ君悩みをしてたわけじゃない(というか、そういう作品は、実は、それほど多くない)。

 エヴァの歴史が、奈須、冲方で切れる? 何言ってるんだ、この人は。
 要するに、「雫」の時代が、「月姫」あるいは「Fate」で終わったことにしたいらしいんだが。それ自体は、まぁいいとして、この前提がバカ。