Fateの内面
東と更科は、Fateには、主人公の内面もなければ葛藤もないと説く。
東:(Fateの主人公には)内面がないし葛藤がない。『機動戦士ガンダム』以前の少年の造形だと思う。むしろ『宇宙戦艦ヤマト』に近いでしょう。古代進ってなにも悩んでなかったじゃない(笑)。なんのために宇宙戦艦乗ってんだとか、ヤマトって無意味なんじゃないかとか、地球なんて滅びちゃえばいいとか、古代は絶対思わない。一九七九年に『ガンダム』が現れて以降、そういう能天気さは通用しなくなって、その屈託こそがオタク的想像力の強度を支えてきたと思ってたんだけど、『Fate』はそういうのをすべて吹き飛ばしている。
この人たち(東と更科)、本当に『Fate』をやってるのかどうか、不安になってきたんですが。
『Fate』の主人公、衛宮士郎は、戦いの意味とか、自分の存在とか、正義の意味とかについて、悩み、葛藤するし、それに対するテキストも多い。
『Fate』は王道な熱血少年漫画的ストーリーなので、悩むだけ悩んで吹っ切れて、最後はバトルで決着する展開にはなっている。
だから、たとえば、シンジのようにいつまでも引きずったりしない。解決不可能な問題の前で苦悩し、努力が無意味となる、なんてこともない。
多分、東は、Fateのそういうノリが肌に合わず、衛宮士郎の悩みにも感情移入できなかったのだろう。だけど、だからって、衛宮士郎が、全くアイデンティティに悩みのない能天気かというと、それは、いくらなんでも違う。批評家なんだから、感想と事実は区別しような。
だいたい何度も書いているが、エヴァ以降(あるいはガンダム以降)すべての主人公が、うじうじ悩んでいたわけじゃない。爽快な青春熱血王道ストーリーの路線は、切れ目無く存在する。衛宮士郎より能天気なヒーローは、いくらでも存在したし、これからも存在する。*1
東:そいうですね。『エヴァ』以前というか、『ガンダム』以前への回帰ですからね。しかし、近代を乗り越えてポストモダンになるとむしろプレモダンに回帰する、といったクリシェはよく聞くけど、今回ほどそれを実感したことはない。美少女ゲームで実感するとは思わなかったけど。
東の言う、ポストモダンとやらの、視野の狭さっぷりが、ほんと、よくわかりましたよ。