メモ

・「ライトノベル美少女ゲームの交差点を捉える批評的枠組み」(http://www.hirokiazuma.com/archives/000098.html)に期待してたんだが、ライトノベルを中心とした批評、あるいは、単体のライトノベル作品に関する批評は、対談を含めて、一切なし。
 マップに幾つかと、ライトノベルバブルに関する言及があるだけ。東氏的には、「批評的枠組み」が、ライトノベルにも及んでいるのかもしれないが、読者としては物足りない。
・コメント欄
http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20040821
より。

ところでこのダイアリーしか読んでいない方々のため補足すると、僕は奈須氏の作品を個別に批判しているのではなく、美少女ゲームライトノベルの路線を奈須氏で代表させてしまう雰囲気に違和感を覚える、という立場です。これはけっこう違いますので、誤解なさらないでください。

 コメント欄は、ゲームラボの記事について。そちらでは、確かに個別作品批判はしていない。
 しかしHakagixでは、Fateが単調で、必然性もないのに自由度を削っているからゲームとして後退していて、主人公はアムロほどにも悩んでなくて古代進レベルで悩みが無く、内面というものが存在しない、と主張していることを指摘しておく。

あと、どこかのサイトでHakagixの感想をいただいていて、それは嬉しいのですが、僕がNitroの伝奇SF路線をあまり評価していない、みたいに読まれてしまったようで困惑しています。僕はNitroplusはけっこう好きなブランドで、前にハロワも日記で褒めたことがあります。鬼哭街も素晴らしい作品で、「真の新伝奇はこっちだろ!」と某O氏に強引に見せつけたりとか、そんな感じです。伝奇だからダメで、ラブコメだったらいい、とかそういう簡単な話ではないのです。。。。

 マップ上で、ニトロプラスの作品は、Fateと同じく左下にプロットされている。
※09/24 修正追記。マルセルさんにご指摘いただきましたが、『鬼哭街』『沙耶の唄』の2作は、右下にプロットされています。お詫びの上、修正させていただきます。右下は、東氏的には可能性のある方向らしいです。

 東のFate批判の主張を当てはめるなら、『鬼哭街』にはゲーム性がなく、美少女ゲームの形式だけ借りて、マンガやアニメをシミュレートしてる作品であり、ゲームとして大きく後退してる。
 記述無しに鬼哭街を評価するのは、ダブルスタンダードになるだろう。
・[hakagix]コンテンツビジネス
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040919#p1
 「こみパ」のコミック問題。小さなことをなぜ取り上げているか。それは、こういうことだ。

 コンテンツビジネス化する作品群を憂う東がいる。作家性を救いたいと語る東がいる。
 一方で、その東が更科と、「こみパのコミカライズ? まだやってんの? あのコンテンツ商品価値もうないでしょ?」という会話をする。

 「化けの皮が剥がれた」とは、このことだ。

※09/24 修正追記。kaolu4sさんにご指摘いただいた通り、ここでの東氏は相づちを打っているだけで、メインで主張はされていません。また、更科氏は、こみパは、作品としてもやるべきことはやりつくした、と、表現されているので、以下の批判は、あてはまらない部分が大きいです。お詫びの上修正させていただきます。

 作品を作品として評価する前に、マーチャンダイジング商品としての寿命で計る。その態度は、東が否定しているところの「オタク商品のディズニーランド化」であり、コンテンツビジネス化そのものだ。しかも、実際にコンテンツビジネスの場にたって、冷徹に商品価値を見定めているわけですらない。単に、この人は、普段から、そういう風にマンガを見ているということなのだ。

 批評で市場原理に対抗する? 
 わざわざ自分で責任編集した同人批評で、市場原理に取り込まれてちゃ世話ないよ。