更科氏の日記より。
http://d.hatena.ne.jp/cuteplus/20040921#p3

例えば、道化っぽく振る舞わないで、『COCO』で書いた評論や『HajouHakagix』共同討議のようにストレートに書くとweb上で「お前の言っていることは妄想だ!」と更科大批判大会*2が発生したりする訳で、それ自体は局地的なものではあるのですが、ああいうものに我が意を得たりと大喜びする編集者とかも結構いる訳です。

*2:オレはオレの実感しか書いていないんだけど、批判する連中はオレがマクロなレベルで語っているかのように歪曲して「オタク内部の論理に反している!」と批判しているのです。いや、内部という認識すらもなくて、それが世界そのものであると思っているのでしょうが。

 さて、大批判をしてる望月です。

 裏付けのない、ミクロな実感が、世間の認識と異なる時、それが、「妄想」と呼ばれるわけです。

 Hajou-Hakagixの対談においては、オタクという言葉を、きちんと制限・定義した様子がない。そこで安直に「オタクトライブ」とか語っている以上、それはマクロなものとしか読めない、受け取れない。マクロなレベルで物を語ってない、と読める箇所があったら教えてほしい。

 無論、望月の考えるマクロなオタク像、オタク内論理が唯一絶対にして正しい、なんてことはないのだけど、そこの認識のすりあわせは単に議論すべき点で、互いの実感が異なるなら、事実を参照すればいい。

 結局、ここでも、更科氏は、同じことをしていて。

いや、内部という認識すらもなくて、それが世界そのものであると思っているのでしょうが。

 たとえば、望月個人の文章、主張に外部が欠けている、という批判なら受け止められるし、反論もできる。
 けれども、更科氏は、マクロなレベルで自分の批判者を設定し、そこに、いつもの「オタクトライブは楽園にこもってる」妄想を押しつけている。

 論理に不自由してるのか、天然で被害妄想なのか、それとも、煽りなのか知らないけど、「批判する連中」の一人としては、反論しておく。