オタクの定義には懐疑的

http://d.hatena.ne.jp/hhosono/20050208#p2

 了解しました。ただ、ぼくの戦略は、個々のOTAKU系作品を受容している人々や、それぞれの嗜好を一度、棚上げして、OTAKU文化の歴史の中から、それぞれの時代を便宜的に分割して、そこから売れた作品、あるいは売れなくても、後のクリエイターや消費者に影響を与えた作品群を整理し、それぞれの時代の平均的なオタク文化の流れを概観を提示し、それを読者がそのおおまかの流れと自分の趣味嗜好の偏差をそれぞれが比較して欲しい、というものです。

 それは、あるべき姿の一つだと思いますが、一方で、ものすごく大変な作業である、というのも指摘しておきます。
 売れた作品を調べるだけでも簡単じゃないし、売れなくても影響を与えた作品を個々人の思い入れを抜いてピックアップするのは、すごい努力が必要です。
 細野さんが、どうやって、それをされるつもりかは、多少疑問です。

 この点も前述の文章と重なりますが、ぼくは個々のOTAKUあるいはオタクの個人的歴史には立ち入らないようにしています。それはそれで間違ったものではないし、ここに自分なりに影響の歴史を考えることはよいことだと思います。

 私が言ってるのは、個々のオタクの個人史や、思い入れを尊重しろ、という話ではありません。
 具体例をきちんと出せ、という話です。

 例えば、今回、懸案になっている「オタクと記号操作」に関しても、細野さんは、「誰が」「どんな作品で」行ったのか、言ってくれてません。
 理想は、「オタクの大多数」が「売れた作品、あるいは売れなくても、後のクリエイターや消費者に影響を与えた作品群」で行った実例をあげてもらえることです。ただし、これは先に書いた通り、大多数、そして重要作品である証明が難しい。
 最低限、「とあるオタク」が「とある作品」で行った例でもいいから、あげてほしい、というわけです。そうすれば、ある程度の理解はできますから。

 確かに「オタクとは○○である」という定義、または確定記述の積み重ねをするよりも「○○という行動または嗜好を持つ人はオタクと呼んでもよいだろうか?」という個別具体論のほうが、さしさわりがないとは思いますが。

 個別具体論はともかく、「呼んでもよいだろうか」というのは、「呼んでほしい」「呼んでほしくない」「人それぞれ」で終わりじゃないですかね。

 また、id:motidukisigeru:20050204でINOSANさんがコメント欄で仰っているように、「オタクとはオタク向け作品の消費者層である」と言うのは、トートロジーに過ぎないように思えます。

 トートロジーではありませんよ。現在、細野さんは、「オタク向け作品」「オタク向け市場」というのがあることを否定されますか?
 そもそも細野さん自身も、「売れた作品、あるいは大きな影響を与えた作品」を基盤にオタクを定義しようとされてるじゃないですか。これだってトートロジーですよ。

 もちろん、これは一律の定義ではありません。ぶっちゃけ、メロンブックスに並んでる同人誌を買う人はオタクじゃないか、というところから、始めようという話のわけですが。

 ぼくがオタクの定義/記述のところで、モテ/非モテの話を出したのは、宮崎事件以降、社会的な認知として「オタク=気持ち悪い」というラベリングがあり、それを受けて、オタクの中でも少なくない人がそれを受け入れてしまったことを受けてのものです。

 ひどい言い方をすると違います。
 オタ趣味が一般人に受け入れがたいのは昔からで、モテないオタクがモテないのも昔からです。
 別に「ラベルを受け入れた」わけではありません。

 無論、オタという言葉が、単に趣味だけではなく、ネガティブな人格的類型を指す/指した言葉だったことは確かですが。

 さておき、細野さんの、オタクに関する主張は理解しました。
 コメント欄では色々ありましたが、別に、細野さんがオタクに対するネガティブなイメージを増幅している、と、考えてるわけじゃありません。
 ただ、定義というのは「既成事実化」を作る一面があるため、イデオロギー論争になりやすいという話です。

 その意味で、ぼくは「OTAKU」という表記を使うようにしました。欧米諸国では、オタク文化に対して、一種のテクノロジー・フューチャリズムのような憧憬があり、オタクの負の面をあまり意識しておらず、一種の新しいサイバー・カルチャーとして認識されているからです。つまりこれは岡田斗司夫が90年代半ばまで半分冗談としてやっていながら途中で放り出した戦略を本気でやろうというものです。

 プラスイメージを広める点には頑張ってほしいと思います。が、正直な話をすると、現状、オタクである俺は、OTAKUとかオタコという表記が、気持ち悪くてしょうがないです。俺以外を考えても、運動にふさわしいキャッチーなワードかはわかりません。

 アメリカで、「OTAKU」にマイナスの意味がないのはその通りですが、「一種の新しいサイバー・カルチャー」として認識されてるかどうかは疑問です。
 オタク的な人格類型を指すgeeknerdという用語が、すでにあるので、「otaku」というのが「anime、manga好き」を指す中立的な言葉になった、というだけではないかと。