学術用語その他
http://d.hatena.ne.jp/hhosono/20050217#p3
望月さん(id:motidukisigeru)との議論だが、ぼくの意見に対して、望月さんがすぐに反論してくれるのに対して、ぼくの反論は概して遅くなりがちである。近頃はそれがかなりひどくなっている。それはぼくと望月さんの価値観や立場などの相違を如何に横断して議論をするかが、ぼくにとってかなり困難な作業だからだ。
ま、望月のほうは、端的な答えを返してるだけで、きちんと論を組み立てる細野さんよりも、こっちの反応が速くなるのは当然のことです。どうか気になさらず。
それはさておき。
互いの価値観と立場の相違を横断する方法論としては「とりあえず実例あげて説明してくれませんか?」というのを前から述べてるんですが、どんなもんでしょう?
ぼくと望月さんの議論は、東浩紀さんの著作の妥当性、客観性をめぐるものだが、ぼくと望月さんが議論する際には、望月さんがid:motidukisigeru:20050122で仰っているように、不用意に学術用語やアカデミズム独特の表現は使わないほうが良いと思う。何故なら、それでは話は平行線を描くだけだし、ネットという、活字媒体と違って読者の傾向を予測しづらい場における議論ではできる限り平明な表現で議論をするほうが第三者である読者や正に議論をしているぼくと望月さんの価値観の相違を埋める(または再確認する)ことに役立つからだ。
学術用語というのは、過去の偉大な先達たちによって営々と培われてきた叡智の結晶である。だから、その概念の基礎を一度理解すると、理解している者同士であれば、議論がスムースに行われるし、より高度な議論が行える。しかし、それは学知にコミットしている人たちの間だけで行うべきものであって、関心領域が違う人間がコミュニケーションを取る際には、お互いの共通言語を確認する必要があり、不用意に専門用語は使うべきではない。
基本的には賛成の上で。
今回の細野さんの論が、ホントに学術用語を使うような内容なんですか? というのは、未だにぬぐえない懸念です。
確認したいのですが、「オタ文化が記号操作で進化したって、具体的にどういうこと?」というのは、ソシュールやパースを何冊読んだって解決しないレベルの問題ですよね?
私の理解だと、ソシュールやパースの言ってることは、オタク文化との関係において非常に抽象的なレベルでの物言いに過ぎないはず。
である以上、それらの抽象的な理念を、オタク文化という実体に当てはめる際は、論者の当てはめ方により、様々な解釈が成立し、その範囲は人それぞれに大きく広がるはずですよね。
記号論のエキスパート同士なら、「オタク文化は記号操作で進化した」という言葉だけで、具体的な変化におけるまで、一律に分かり合える、というのなら、いいんですが、そうじゃないですよね。
その場合、「で、その記号操作による進化というのは、例えば、具体的に、どんなものを表してるの?」という質問は有効だし、また、そういう具体論を無視した物言いは、机上の空論に過ぎないのではないかと。
しかし、今のぼくは、ぼくの理解している東さんの理論を学術用語を使わずに(あるいは使う場合は、それに解りやすい解説をつけて)文章を書くことはかなりの時間を要する。ぼくからの望月さんへの応答はid:hhosono:20050208で止まっているが、その後も暇を見つけてはあれこれ考えていた。というのは、これまでの望月さんが自身のはてな日記で他の方々と議論をする際に、感情的な反発や言葉尻の取り合いになって、議論が議論でなくなっていくことがあるように思えたからだ。ぼくとしては、そうした議論はしたくないし、ぼくが提示したいのは、東浩紀の理論のおおまかな整理である。
さて、東氏の「理論」は、個人的には、それなりに理解してるつもりですよ。整理しろと言われたらしてもいいくらいです。
私が主に問題視してるのは、彼が、それを、オタク文化に当てはめる時の齟齬です。
1.その理論には事実誤認がないか?
根拠となっている事実に、間違いがあるのではないか?
2.理論の予測が、具体的に観察されている事実と異なっているのではないか?
東氏の理論だと、以下のような現象が起きるはずなのに、実際には起きていない。また理論に反する現象が起きている。
3.その理論以外でも、同じ現象を証明できるのではないか?
東氏の理論より、もっと少ない仮定で同じ現象を説明できる場合がある。その場合、東氏の理論のほうが正しいとする理由がなくなる。
4.その理論では、何でも証明できてしまうので無意味ではないか?
理論の範囲が広すぎて具体的に検証する方法を考えていないので、何が起きても、原因であるとこじつけられるのではないか?
で、細野さんの言う「オタク文化が記号操作で進化した」という論も、私は論としては理解できなくはないです。ただし、今のままだと、それは上の4に引っかかる気がする。すなわちたとえ正しくても抽象的過ぎて、論として実際的な意味がないのではないかという懸念です。
良い理論というのは、具体的な挙動を説明でき、その理論に必要な仮定が少なく、正しいかどうかの検証が容易に行えるものです。
もちろん、社会学的な分野で、そこまで、きっぱりとした理論を求めるのは難しいですが、ただそれにせよ、具体例くらいは挙げてほしいなぁ、と。
もちろん、複雑な系においては、マクロで成立する理論が、ミクロでは成立しないこともある。また統計的な事実に、一個の反例をあげても意味がない。因果関係を安易に単純化して語ると問題が出ることもわかる。
だから私も、「その理論に反する事例を、俺が見た範囲で一個引っ張り出せるからダメ」というような論法は慎むつもりです。そうなったらそうなったで、きちんと分析しあえばいい。
ただ、そういう段階の議論をするためにも、地に足のついた、個別の事例を見据えた議論を、まずすることを提案する次第です。