http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20060903#p1
こちらの続き。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000245.html
 東浩紀氏の考察について。果たして、情報財の価値がゼロの社会では、ディベロッパーが幅を利かせるのだろうのか?

 未来のことを予測するのは難しい。ので、今、起きていることに注目してみよう。
 今現在、「コピー可能な情報財」で「情報財の価値がゼロ、あるいは極めて低い」ものはあるだろうか?

 ある。テレビ番組だ。

 今、現在、視聴者は、テレビ番組自体には、直接、金を払っていない。ではあるが、テレビ番組には予算がついているし、破綻もしていない。また、それらは録画することができる。ビデオテープにHDレコーダー。その一方で、テレビアニメDVDがまったく売れない、ということもない。アニメDVDを買うような人は、そのアニメを視聴、録画している可能性が高いにもかかわらず、だ。

 情報財フリーの社会を考えるにおいて、歴史の長い、テレビ番組とビデオを参考にしてみるのは、悪くない考えだろう。

 テレビ番組とビデオの分析から得られることはたくさんあると思う。以下は、その一例。

 かつてテレビが普及することで、映画は特権的な地位を失った。が、映画という産業がなくなったわけではない。
 かつてビデオが普及することで、テレビ番組は、その特権的な地位を失った。が、テレビの採算が取れなくなったわけではない。

 アテンション・エコノミーの考え方でゆけば、映画にせよビデオにせよ「注目財」としての価値が存在するから、と、いえるだろう。

 さっきの例に戻ろう。
 HDレコーダーで、アニメを全話録画している人が、なお、DVDを買うのはなぜか?
 DVDパッケージのせいか。特典追加映像のせいか。あるいはそれ以外か?

 パッケージであることは結構重要であると思う。モノとして触れられること。統一されたデザインでまとまっていること。そうした職人の仕事は、確実に価値を生み出している。
 ま、それで全部解決できるとすると、情報財の部分がコピー可能で価値ゼロでもパッケージで付加価値を出せるからソフトウェア業界は今後とも安泰だ。以上、しゅーりょー、となるので、一応、それ以外のことも考えておこう。

 特典追加映像や、DVD化にあたってのリファインも価値の一つだが、こちらは情報財なので一旦、脇へ置こう。

 特典追加映像がなければパッケージDVDを買う人間は減るだろうが、少なくともゼロではない。あるいは、コンシュマーゲームの場合、発売日に「新品」と「中古」が両方並んでいることは珍しくない。安いなら中古を買う人間もいる一方で、情報財の価値は全く変わらず、パッケージとしても、ほぼ差がないにもかかわらず、新品を買う人間も確かに存在する。

 その人たちは、なぜ、そうするのか?

 作り手の「注目」を求めているから、というのが、アテンション・エコノミーでの回答となるだろう。
 例えば、ライヴに行ってスターが自分のほうを見た時に嬉しいと感じる気持ち。それと同等の「作り手に注目してもらえる」ということ。言い換えれば、自分のスタッフに対する敬意を形として見せることで、スタッフの尊敬を得ているという確信。

 これらは、一部の人には、お金を余計に払うだけの価値があるのだ。

 情報財がコピーフリーになり、ネット上での金銭のやりとりが簡単になった場合。究極のケースを考えると、人は、自分の支払いたいだけのお金を、作品あるいは作者に大して支払うことになるだろう。

 この時、「タダでもらえるんだから、お金は出さない」という人もいれば、「この作品好きだから、お金払う」という人もいるだろう。「10円払う」という人もいれば「10万円払う」という人もいるだろう。
 仕方なく金を払う人を全員排除して、「好きだから払う人」だけを残した場合、市場規模は小さくなるかもしれないが、少なくともゼロではない*1

 ゼロでなければ、作品数や規模は減るかもしれないが、存続、適応はする、ということだ。そして、それは、必ずしもディベロッパー主体になるわけではない。
 アテンション・エコノミーの観点からすれば、視聴者が求めているのは、作者(あるいは同好のコミュニティ)の「注目」であって、ディベロッパーの注目ではない。そこから、アテンション・エコノミーにあった、作者が生き残れる情報化社会というのを考え、提案することができるだろう。それについては、また次回。

*1:この筆者も、はてブによって注目が可視化したおかげで、無償でこんな長文を書いている。世の中そんなものだろう