不完全な情報で判断を下すということ

ちょっと東浩紀から飛んで、違う話題を。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081113/1226560216
Google Adsenseに、クラスター水の広告が載ったことをきっかけに始まった、疑似科学批判と疑似科学批判批判のあたりを読んで気になったことがいくつかあった。


http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20081115/1226722771
このあたりから始まった議論で、よく見かけた意見が、「専門家には疑似科学かどうか判断できるのかもしれないが、素人には判断する知識も手間暇もない。とすると、科学/疑似科学の区別は、結局は宗教と同じく、信じるかどうかということにならないか?」という話だ。


説得力のある意見だが、ここには抜けている考え方がある。
それは「専門知識が必要かどうかは程度問題」という話だ。

人はビルから落ちない

例えば、「人はビルから落ちても死なない」という意見があったとしよう。


果たして、これが正しいかどうかを判断するのに、専門家の知識はいるだろうか?


人がビルから落ちた場合、何が起きるか、は、様々な専門家の研究対象となる。落下と衝突が人体に及ぼす影響について、人体生理学の専門家、空気抵抗について流体力学の専門家、重力について理論物理の専門家。その他様々な専門家が様々な視点から研究できるだろう。


でもまぁ、専門家の話を聞くまでもなく「落ちたら死ぬだろう、普通」というのは判断できる(よね?)。


「ビル落下」について専門家並みの知見がないにしても、死にたくなければビルから飛び降りるのは止めておこう、という判断をするのには支障がない。

完全な情報などない

人間、「完全な情報」というものを得られることは滅多にない。
だから、我々は、不完全な情報に基づいて判断している。
不完全な情報で、的確な判断をするテクニックというのは存在している。


例えば先ほどの「ビルから落下すると死ぬ。痛い」についてだが。


・支えのないところで物を放すと落ちる。
・落ちると衝撃を受ける。
・高いところから落ちれば落ちるほど衝撃は強くなる。
・ビルから落ちて死んだ人の報道を見た。


このへんを理解していれば、「ビルから落ちるのは健康に良くなさそうだ」というのは理解できるだろう。


・重力とは何で、どのように働いているのか。
・人体が空気中を自由落下する時、どんな風に落ちるか
・落ちてきた後、どう地面に接触するか
接触して、どのように破壊されてゆくか
・最終的に、どのように死に至るのか。


このへんの細部とかは、考えれば考えるほど大変な問題で、もの凄い量の研究が必要となるが、別に知らなくても、判断するのに支障がないわけだ。


「専門家でなければわからない。素人にはわからない」というのは、「ビルから落ちて死ぬかどうかは専門家でなければわからない」と言ってるのと同じだ。


「ビルから落ちたらどうなるか」は誰でもわかるが、無論、誰でもわからない問題もある。
不完全な情報から、常に、正しい結論を導けるわけではない。「わからない」と結論するしかないこともあるし、間違えることもあるだろう。
とはいえ、どうせ世の中「完全な情報」なんてのはないんだから、不完全な情報から、どう行動するか、というのが大切なのは言うまでもない。


不完全な情報に基づいて、的確な判断を行うテクニック、そのための考え方というのは、疑似科学/科学を見分けるためにも、使うことができる。

科学は正しさを完全に保証したりしない

というか、そもそも科学だって「完全な情報」とか「完全な真偽」なんてものは、問題にしていない。
100%完璧に正しい判断など人間にできるものではない。


そもそも科学は、人間が、科学者が、不完全で、善意であっても間違いをおかしやすい、という前提に基づいて作られている。だから、新しい概念に、徹底的にツッコミを入れ合って検証するという手続きを導入している。


そうやって検証を経た観察や理論を積み重ねて、「このへんは、色々な角度から何度も確かめたから、かなり確実」「このへんも、まぁ大丈夫だと思う」「このへんは、かなり怪しい」「このへんは、全然わからん」という風に知見を積み重ねてきたものなのだ。

基礎と応用

「落ちると痛い」「高いところから落ちるともっと痛い」
これだけ知っていれば、「ビルから落ちると死ぬ」を判断するには困らない。


何でもそうだが、「基本的で応用範囲の広い原則」を理解していれば、細部が分からなくても、怪しいかどうかは判断できる。怪しいと思ったら評価を保留したり細かいところを調べたり専門家の意見を聞いたりすればいい。


もちろん、それで勘違いや間違いをすることもあるだろう。でも、最初から「どうせ素人が調べるには難しすぎる」と投げ出すよりはずいぶんマシで、効率的だ。


なお、「基本的で応用範囲の広い原則」から入るのは、専門家だって同じだ。
専門家だって、何かが正しいかどうかを判断する時に、いきなり枝葉末節の細かいところから入ったりはしない。まずは、自分が理解してる基本的な法則と照らし合わせて、大ざっぱに検証し、そこから必要に応じて細かいところを検証してゆくものだ。


専門家の話を聞く時は、そのように「どこから最初に目をつけるか」を注意すると、役に立つだろう。

科学と疑似科学の見分け方

科学の場合も、「基本的で応用範囲の広い原則」は色々ある。

エネルギー保存則

これは「ゼロからエネルギーは生まれないよ」という話で、無動力で動くような永久機関とかは存在し得ないよ、という話だ。


これは色々な科学者が色々な分野であらゆる方面から検証を重ねてきた話で、「ビルから落ちると人は死ぬ」よりも、ずっと確実な話だ。


これを、無視してるような物があったら疑似科学である可能性は限りなく高い。

都合が良すぎる

疑似科学によくあるもの、その1。


例えば「科学的に新しい効果を発見した」は、いいとして、それが癌やら何やらとにかく何でも効く、とかだ。


人間の身体というのは機械である。あちらをいじれば、こちらに影響が出るものである。違った症状には違った原因があり違った対処が必要となる。


一個のもので、何もかも効く、というのは、都合が良すぎる。


そのように、一個の発見が、人間にとって都合の良すぎる効果を、たくさん発揮する、というのが主張されているものは、かなり怪しい。


その説明に「生命エネルギー」とかそういうものを持ってくるものがあれば、疑似科学である可能性は限りなく高い。

精神エネルギー

同様に疑似科学に、よくあるのが、「念」やら「気」やら「精神」やらが物質に影響する、というもの。現代科学で、そういう仕組みは今のところ見つかっていない。


いないにも関わらず「心の力が分子に影響を及ぼして」みたいなことを言うのも、疑似科学である可能性が高い。


さて、「精神の力が存在しないと、最初から決めつけるのは非科学的ではないか?」という批判があるだろう。
それは、その通り。だが……

気が早すぎる

ここで疑似科学を見つける三番目「気が早すぎる」がある。


仮に、精神が物質に何かの影響を及ぼす証拠を見つけたとする。であるなら、まず、それを、学会に発表すべきだ。

発表内容が妥当なら、色々な人がそれを追実験してくれるだろう。その結果、「おお、確かにその通り」という答えがどんどん返ってくれば、「精神が物質に影響を及ぼす」というのは科学的な事実に近づく。


なんだが、そういうステップを踏まずに「精神が物質に影響を与えるので、この靴下はすごい」とか「この写真集はすごい」みたいに、いきなり結論を押しつけて、製品化してしまう。


それはいくら何でも「気が早すぎる」というものだ。そういうことをするのは、科学的な検証に耐える自信がないから、それを避けているか、そもそも科学的な検証の大切さを理解していない可能性が非常に高い。
そういう人の理論は、疑似科学である可能性が非常に高い。

類は友を呼ぶ

明らかに疑似科学であるAがあったとして、Aを誉めてたり引用してたりするジャンルBは、疑似科学である可能性が極めて高い。


疑似科学Aに引っかかる客層を取り込もうとしている可能性が高いからだ。


なるべく善意で考えるにしろ、Bは、Aが科学的におかしいことを理解できてないわけで、そういう人の科学的根拠が心配になる、とは言えるだろう。

実例と判断

疑似科学の例として「水からの伝言」を挙げてみよう。
これは、わかりやすく「精神が物質に影響する」と「気が早すぎる」の例だ。


仮に「水が言葉に反応する」と考えたとして、それが正しいかを確かめたければ、様々な条件で様々に検証する必要がある。できるだけ主観が入りにくい形で、多数の実験サンプルを取る必要がある。
「そう期待してやってみたらそうなった気がする」程度では検証にならないし、検証を経ずに、事実として発表するのは、疑似科学だ。


こちらは、物理学者田崎晴明氏による、「水からの伝言」の問題点の指摘。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
田崎氏の言ってることには、素人にはわからない専門知識みたいなのは含まれていない。
誰にでもわかる基礎的な原則を応用して「これはおかしい」という話をしており、参考になる*1


さて、今回の記事の発端となった、google adsenseに出てきた、「クラスター水」だ。こちらは、どう判断すればいいだろうか?


クラスター水」自体は、エネルギー保存則には反していない。精神エネルギーが影響するとも書いていない。
きちんとした科学的な手続きを踏んでおらず「気が早い」とは言えるのだが、「学会でも認められてるよ」みたいなことは自称しており、本当にそうなのかどうかを、素人が調べるのは結構難しい。


そういう意味では、少なくとも「水からの伝言」に比べては、疑似科学と判断しにくい。(簡単に判断できるポイントがあったら誰か教えてください)。


私が気づいた点は、「何でもかんでも効く」の、あたりだ。
http://www.o-xyz.com/xyzwater/
例えば、これを読むと、クラスター水は、健康にいい、と、書いてある。
具体的には、ダイエットによくて体力持久力が増して集中力が増して肌が綺麗になって新陳代謝がよくなって……これだけ並ぶと、うさんくさい。


水のクラスターが仮に存在し、粒が小さくなったとして、これだけ全部の効果を一個で発揮できるものだろうか?
ダイエットに良いものが、肌にも良いかはわからないでしょ?


ある記事では、クラスター水では胎児にはたくさんあるが、年を取ると減る、というのも謎だ。胎児の水は母胎からもらうわけで、中年女性でクラスター水が減ってるなら、胎児だって減ってるはずだ。


「他の疑似科学と仲が良い」は、どうだろうか?
クラスター水 波動」で検索してみると、これが、また山のように出てくる。
もちろん、波動の側が、クラスター水を利用しているだけかもしれないが、そうでないかもしれない。


これらのあたりから、少なくとも、私は「かなり怪しい」とは判断できた。

自分で考えるということ

人間は、自分一人の知識であらゆる出来事を判断することはできない。専門家の解釈を信用することが必要になる場面は、ある。


とはいえ、専門家の解釈を信じるにも、様々な段階があり、方法があり、テクニックがある。
どういう時に、どの情報を、どれくらい信じるかが、大切なことだ。


そこについて思いついたことを書いてみた。
結局それも、「望月という人間への信仰」ではないか、と、言われたら、そういう面もあるとしか言いようがない。
要するに、それも程度問題で、私の記事を読者全員が、何も考えずに鵜呑みにしたら大惨事だが、そうはならないだろう。これを読んでくれた人が、色々考える材料になれば、と、思うわけだ。

追記

こちらで言及されていたので。常識+αについては、この記事が答えにはなると思う。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081120/1227183323

*1:もっとも、そういうのがきちんとできる人が専門家なのだとも言える。