科学とニセ科学と宗教

ニセ科学とか科学とかの話で、「科学も宗教の一つじゃないか」とか「科学と宗教を一緒にするな」とか「ニセ科学は宗教の一種で、文句を言われる筋合いはない」と言ったような発言を見かける。


そういった発言の中で、宗教が「盲信」「狂信」とか「思考停止」の意味で使われていることがあるが、それはちょっと違うと言いたい。


宗教が何も考えていないかというと、そういうことはない。


宗教と言っても色々あるが、例えば、世界の三大宗教と呼ばれるものは、何が善で何が悪か、人はどう生きるべきか、ということについて、長年、悩み、考えてきた。今も、考えている。
その中から学べることは、実に多い。


宗教は、少なくとも過去においては「世界がどうなっているか」についての回答を与えていたことがある。そうした回答が、科学によって覆されたこともある。
それらについても、多くの宗教は悩みながらも誠実な回答を出している。
例えば、ローマ法王、すなわちカトリック教会は、進化論を認めている。


その上で、もちろん宗教は、学問そのものではない。
ではないが、「何も考えずに何かを信じること」の代名詞に宗教を使うことには慎重になってほしい、と、思った。