集団が壊れる時

たとえばブラック企業の話とか

みんな好きだよね。俺も好きです。好きというと言葉が悪いかもしれない。


様々な意味で現場がぶっ壊れていて、現実が見えなくなった理不尽な指示が飛んで、それを現場が裁量で埋めることになり、結果、やることがどんどん犯罪に近づき、時には犯罪そのものになり、その過程で人が傷ついてゆく。


そういう状況の中にいると、「それが当然」という錯覚に陥ることもある。
ストレスで死にかけることもある一方で、またそのストレスで誰かを傷つける側に回ることもある。
必ずしも悪人らしい悪人がいるわけではなくて(いる時もあるけど)、様々な原因が絡み合って、色々な悪循環を生み出してゆく集団。


そういう状況は、人間が生きてる限り、どこの国でも、どういう集団でもあったと思う。


そういうブラック企業にあっても、カッコイイことを言って、ぴしっとスジを通す先輩とかがいたりして、それに憧れる時もある。自分もそうできたらいいなと思う。
でも、実際、その状況で、できるかどうかはわからない。そんなことは断言できない。むしろ、自分が弱いもの虐めに回る可能性だって大きいだろう。

たとえば戦争だったら

集団で何かを実行する際の大きな例として、戦争というのがある。
集団というのは、多かれ少なかれ人間を部品として扱うわけだが、特に戦争は、それが大きい。
なにしろ、人が死ぬことが前提だから、「壊れても取り替えられる」部品にしないと軍隊は成立しえない。
・人を殺す
・自分が死ぬ
・消耗品扱いされる
これだけ要因が揃うわけだから、もちろんストレスは大きい。


平和に生きてる俺が想像するところでは、戦争中の軍隊は、ブラック企業の親玉みたいなものだろう。
こういう言い方は、まっとうな軍人さんや自衛隊員の方に失礼だろうから言い替えるなら、戦争という極限状態の中では様々な訓練や志で自分を鍛え抜いた人だって、壊れかねない、そういう過酷な状況だろう。


要するに、給料遅配したところで直接死ぬわけじゃないし、しようと思えば出社拒否も退職もできる民間企業だって、十分に人間が壊れるくらい、えげつないことはいくらでも起きるんだから、もっと逃げ場が無くて生死の境にある戦争状況だったら、もっとえぐいことが起きてもおかしくないとは思うわけだ。

たとえば俺が

たとえば、俺が軍隊に徴兵されて戦地に送られたとして。
掠奪や強姦、捕虜の虐殺などはいけないという常識があったとして。


一方で「国のためにあいつらを殺せ」と言われて、そいつらを自分の手で殺したり、またそいつらが俺達を殺そうとして向かってくる状況で、「でも民間人や捕虜は丁寧に扱うように」というのをきちんと守れるかは、かなり自信がない。友人が戦争中に、敵国で敵兵に殺されたとして、客観的に見れば恨む筋合いは全く無いんだけど、でも恨んじゃうだろう。


まして、戦況があんまり芳しくなくて、ご飯や給料が少ない上に、毎日えらい距離を歩かされて足のまめがつぶれまくって、始終お腹が空いてて怒りっぽくなってるとしたら、そりゃ八つ当たりもしたくなるだろう。


仮にすげー自制心を発揮して守れたとしても、同じ軍の仲間が、掠奪や虐待するのを「おい、やめろ」というのは、さらにものすごい勇気が必要だろうし、自分の上官だったら逆らうのはもっと大変だ。
そういう中にいれば、どんどん感覚は鈍るだろうし、そのうち自分も平気でやるようになったとしても驚かない。
もしかしたら悪いことする前に耐えきれず自殺するかもしれないが、じゃぁ、それが何かを改善するかというと、そうはゆかないだろう。
だって友人が自殺したら、敵国の人間に優しくできるかというと難しいよね。むしろ、イヤな気持ち、どす黒い気持ちになってさらに八つ当たりしそうだ。

たとえば俺の爺さんとかが

戦争にいって、よその国で、えげつないことを一杯してたとして、俺ならそんなことをしなかったとは、全く断言できない。だから、その意味で、それを責める気はしない。
「大変だったんだろうね」と思う。


普通の健全な中小企業が、不況やら親会社の方針変更やらの、ちょっとした影響で、ボタンをかけちがって、その結果、どんどん悲惨なことになってブラックな環境になってゆくことがよくある。
社長さんが、もうちょっと頑張ればなんとかなっていたかもしれないけど、まぁその上で社長さんも苦労した上で転落していたとしたら、安直に責める気はしない。


それと同じように、帝国主義、世界大戦という流れの中にあって、国が、個人が、ブラックな状況に追い詰められることは、ある意味、避けられない部分があっただろう。
様々な国で努力次第で、もっと良い結果を生むことはもちろんできたとはもちろん思うけれど(だから無批判にあれはしかたがなかったというのは良くないけど)、一方で、その当時の人達が、良くも悪くも精一杯頑張った結果でもあるのだろう。
俺だったら、もっとうまくできた! とはちょっと言えない。


もちろん、戦争が極限状態といっても、比較的、楽な戦場もあれば、大変な戦場もあっただろう。
「経済」というのが生き物で好況の中にもブラック企業が存在するように、「戦争」という生き物の中で、全体的には勝ち戦であっても、あちこちにブラックな極限状況は発生する。もちろん、不況、負け戦になれば、どんどん増える。

今度はもう少しうまくやろう

時折、たとえば、日本軍の蛮行を過剰に否定する人がいる。
そういう人達は、多分、自分と自分のお爺さんが好きで、その人達が、そんなひどいことをしたと言われるのが耐えられないんじゃないか、と、思う。


でもまぁ、戦争という極限状況の中で、さらにえげつない極限状態が発生することを前提に想像してみると、その中で常に規律正しく澄んだ心で、分け隔て無く、人として当然のことを行うのが当たり前だった、と決めつけるのは逆の意味でよくないと思う。
だって自分がそういう極限状態に置かれた時に「自分を殺しに来る敵国の人に対して公平で優しく」を実行するのが当然、と、言われることを考えて見たら、それが、無茶で残酷な要求であることは分かるだろう。


俺という人間には限界がある。なるべく良い人間でいたいけど、ある程度以上、追い詰められれば、きっと壊れる。悪いこともしちゃう。あなたもそうだろう。
だから、大切なのは、追い詰められないためには、どうしたらいいか、だ。


爺ちゃんが悪いことをしたとかしなかったというよりも、そこまで追い詰められたのは何故で、どうやったら次は、もっとうまくやれるかを考えることだ。

自分と爺ちゃんとその外の広がり

爺ちゃんの立場を想像して、「俺だって、そうしたかもしれないし、安直には責められない」とは書いたけど、もちろん戦争には相手もいるわけだから、それも忘れちゃいけない。
「俺個人は責められない」とは書いたが、それは俺個人の話であって「誰にとっても許されてしかるべきだ」なんて話じゃぁない。


何が起きたかという事実の吟味も勿論大切だけど、時折、普通の社会の常識だけで戦場で起きた出来事を判断しようとしている人がいる。「こんな非合理的なことは有り得ない」という議論だ。
追い詰められた人間は色々無茶をする、というのと、戦争ってのは人間を追い詰める、という前提は、大切にしたほうがいい。


そもそも戦争をする、というのは、国からしてみれば、大量の投資だ。勝てば儲かる場合もあるが、勝ち切るまでは大浪費の大ばくちだ。それに戦争で国の景気が良くなったとしても、前線の兵隊さん達の暮らしの質が高いかは全く別問題だ。もちろん負け戦なら、さらに悲惨なことになる。


そこまでいかなくても、平和な今の日本の会社で考えて見たって、そんなに合理的、明白にはできていない。
例えば就業時間と残業手当が、実体と完全に一致してる会社なんて少ないんじゃなかろか。ファンタジーな労働時間申告書かされて、もやもやしてる人も多いだろう。タイムカードがあっても、それがいい加減に押されてる場合も多い。
なんでそうなったかというと、なんとなーくの空気による上意下達だったり、ノルマの辻褄を合わせるために(建前上)自発的だったりするわけで、別に「会社ぐるみの労働時間隠蔽」なんていう方針が明確にあるわけではなく、ましてやそれを命令する「文書」があるわけでもない。汚職や、グレーゾーンのことをする時も一緒だろう。明確な意志を持って悪いことする時もあるけれど、ぐだぐだの中で、なあなあで進んだ結果、一線を踏み越えるというのもよくある話だ。


日本軍も(あるいはどこの国の軍隊も)、ぐだぐだなことをする時は、そういう流れで起きたものだというのを考え合わせる必要がある。