ファウストvol.1 メタリアル・フィクションの誕生

 上に加えて、「ライターとして下手」というのも付け加えておこう。これ、金取って読ませる文章じゃない。

 文章の枕は、大塚英志の「キャラクター小説の作り方」。

  1. 大塚英志は、ゲームのライトノベルへの影響を悪い方へ考えている。
  2. このゲームというのはTRPGのことに違いない。
  3. それは正しいのだろうか?

 大塚英志TRPGに文句言ってたとは思えないが*1、それはさておくとして、こう来れば、「じゃぁTRPGライトノベルへの影響」について考えたくなるのは当然だろう。
 D&Dや「ロードス島戦記」がなければ「スレイヤーズ」もなかったと言えるし、初期のライトノベルにおいて、TRPGの影響は極めて大きい。
 現在においても、TRPGライトノベルの密接な関係は、大きなテーマとなりうる。

 でも、今回のテーマはギャルゲー(美少女ゲー)だ。東は、そっちに行って、二度と帰って来ない。

 連載は、長編のぶつぎりとは違う。次号へ持ち越すテーマがあるにせよ、一度の掲載の中で、ある程度は、きちんとした起承転結が必要となる。
 それがないのが、東の文章がライターとしてダメな理由だ。

 さておき、ギャルゲーのほうを見てみよう。まとめると、以下の通り。

  1. 最近のギャルゲーには、メタな展開が多い。なぜか?
  2. 本の場合、読者は主人公に単純に感情移入すればいいし、また、ストーリーの流れも最初から最後まで一直線である。
  3. それに対し、ゲームの場合、プレイヤーは、あくまでプレイヤーという立ち位置に置かれ、セーブ・ロードなどを通して物語の中をいったりきたりする。
  4. このように、ゲームというものは、本に比べて、システム的にもプレイヤーの心情的にも、メタな展開に馴染みやすい。

 はいはい。
 それで?
 それではない。書かれてるのは、こんだけなのだ。あとは、様々なエロゲーのネタバレで行数稼ぎ。

 で、具体的に「ライトノベルにとってゲームの意味ってなによ?」というのは、完璧に忘れ去られている。
 連載は、長編のぶつぎりとは違う。次号へ持ち越す(ry

 ゲームの意味が以上の「メタフィクション性」なら、それはTRPGでも簡単に議論できる。
 プレイヤー=PCの関係、同じシナリオを反復してプレイすることができること、世界の意志を反映するGMの存在。
 多分、東浩紀という人は、今のTRPGを全く知らないのだろう。
 PCが能力を基準としたクラスから、ストーリーを前提とするアーキタイプに、さらにはシナリオごとのテンプレになった過程も知らないのだろう。

 おっと、これは余談。
 問題は東がTRPGを知らないことではなく、何の必然性もなくTRPGという語を取り出して、そのまま無関係に議論を続ける一貫性のなさなのだ。
 与えられたページ数の中で首尾一貫した文章が書けず、適当に書き散らかす。自分の知らない分野について、適当なことを言う。

 これは、バカの所業である。

*1:大塚がTRPGを批判していたかどうかに関しては、10月13日記述を追加。