おたくが反発する理由について

 上記、宮崎アニメがおたく的かどうかについての議論に際して、その動機についての質問がありました。
 そうした問題に対する俺(そして他のおたく)の反応が「たんなる定義の問題というより自己規定、つまり自分のオタクとしてのアイデンティティに関わる怒り」のように見えるんだけど、そこんとこどうよ? というご質問です。*1

 これはその通りで、東氏の言説に問題があるかどうかではなく、そうした指摘自体が、おたくの怒りを刺激するところがある。その原因はどこにあるのか?

 基本的には、「作品、作者に対する敬意が欠けている」と感じられるところだと思います。*2

 おたくは、基本的に作品の一つ一つが好きで思い入れがあります。

 ところが、作品全体、おたく系文化全体を論ずる時は、どうしても、横並びに「全体的な方向性」みたいなものを評価し、一つ一つの作品に込められた様々な労力や、その結果生まれた奇跡のような精華としての作品を、無視したり、一面的にまとめてしまったりする。

 そういう態度は、作品や、それを成立させている作者に対し、敬意がないように映るわけです。

 特に東氏の場合、作品それ自体に価値があるのではなく、そこに込められた記号の組み合わせを消費しているのだ、と言う説なので、説の妥当性はさておき、そうした感情を刺激しやすいのではないか。

 そんなことを考えました。

 よく言われる、おたくはおたく以外の人間が、おたくについて論評されることを嫌がる、というのは、もちろん正しいですが(まぁ、あらゆる自覚的な集団について、通常、当てはまる気がします)、それに付け加えるなら、こういう問題があるわけです。

*1:nonakaさんにいただきいた質問です。ありがとうございます。

*2:要するに「俺の好きな○○にケチつけるな、バカ!」という話じゃないかというと、まぁそういう話でもありますな。