知識欲という欲求

 では、本来意味がない論に、なぜ、魅かれる人がいるか?

 思い切り単純化すれば、それは知識欲を欲求的に消費しているからだ、ということになる。

 何度も書いているように、東の「動物化するポストモダン」は、裏付けを欠いている。で、この本の内容を、きちんと裏付けるような調査って、彼自身、あるいは他の人間によって、されたのだろうか?

 俺が知る限り、誰もしていない。

 彼の本の内容が、欲望を刺激するものであれば、そうした研究が出ていてしかるべきだろう。それが出ていない、ということは、彼の本は欲求的に消費された……つまり、「なんとなくわかった気になって、それきり」ということだろう。

 人間は、誰しも難しいことを理解したいという知識欲がある。

 そこにつけ込んで、単純で当たり前な話、あるいは、いい加減で裏付けのない話を、学術的な用語と引用にくるんで、長々と語ることで、読者が知識欲を欲求的に解消できるような、「欠乏−満足」の回路を作る、というのは、これまた、娯楽作品を売る重要な手法だ。*1

 そこまでいかなくても、複雑な理論の場合、理論を理解すること自体に知的興奮があるので、理解したあとの検証が棚上げされる場合がある。

 つまり、本来は「君の言いたいことはわかったけど……」と受け止めるべきことを、「なるほど!そうだったのか!」と思ってしまうような場合である。苦労して理解したことがタワゴトだった、とは思いたくない心理も働くだろう。
 知識欲は満たしても、知性に結びつかない例である。

 意地悪く言えば、東の「動物化するポストモダン」は、そういう本だということだ。

 もう少し擁護するなら、学術書、啓蒙書として書かれた本であっても、本当に欲望を刺激するような作品というのは、非常に希だ、ということだ。まして、最初から娯楽作品として作られたフィクションにおいて、そうした作品は、本当に本当に希で貴重なものなのだ。*2

 それを無視して、「最近のアニメは動物化している」というのは、地に足のついていない言論であろう。

*1:当たり前のことを単純明快に語ったら、難しく聞こえないので、知識欲を満たさないのだ。

*2:最初から、欲求ならぬ欲望を刺激するものとして作られていないのだから当然である。