原始的な快楽から、オタクへ

 で、そうやって侮蔑されていれば、小集団のほうでも団結しはじめる。

 彼らはまず、自分と同じ価値観を持つものを尊重する。アニメファンが集まって、オタク集団となる。
 次に、自分たちが、他より優れている点を追及する。所詮、一般人にはアニメの素晴らしさはわからないのさ、という理論武装が始まる。

 この理論武装は、内にも外にも向けられる。外に対しては、アニメが凄い、ということを語るために。内に対しては、「俺はアニメファンとして、おまえよりすごい」ということを語るために。
 そしてまた、理論武装のかっこよさに引かれるファンも集まる。

 東の言う、オタク第1,第2世代における、世界観だのテーマだの引用だのパロディだのモトネタ意識うのは、何より、そうした理論武装の必要上、生まれてきたものなのだ。

 オタク集団が基盤を広げていけば、やがて、それらは一般化してゆく。十分に一般化すれば、オタクがコンプレックスを持つ必要がなくなり、過剰な理論武装は当然、捨て去られる。

 そうしたオタクは、一致団結する必要はなくなるから、気が合うものどうしの緩やかなコミュニティとなる。理論武装の必要も減るから、モトネタも引用もパロディもどうでもいい、快楽要素だけを素直に求める動きもでてくる。*1

 これが東の言う、オタク第3世代である。

*1:このへんは、文化の変化とともに、年齢とも絡んでいる。子供は七面倒くさい理屈はいらないし、アイデンティティに悩む思春期は、バックボーンを求めるものである。そのへんを通過した三〇代のオタクとかが、快楽だけの作品を、まったりと鑑賞したりしなかったりする