シミュラークルと埋没

 まとめの続き。

 「動物化するポストモダン」では、オリジナルから派生する二次創作群が、やがてオリジナルと区別のつかないシミュラークルとなり、オリジナルと同等に消費される、という問題提起があった。

 実際問題、どうなのよ、それ? という問題だ*1

 シミュラークルとされているものは、主に2種類に分けられる。一つは、オフィシャルのグッズ。もう一つは、同人誌をはじめとする二次創作類だ。両方見てゆこう。

 オフィシャルのグッズというのは、基本的に製品を認知させることに目的がある。この時、キャラクターのパブリックイメージを育てることを重視する。「オリジナルのキャラ」が存在し、グッズはそれを補強するという位置づけである。これが崩れることは基本的にない。

 世界設定的に、オフィシャルと合わないグッズは確かに存在する。キャラのコスプレが一般的な例だろう。ファンタジー世界のキャラが学校制服や水着や浴衣を着てたりするやつだ*2

 キャラ設定的に合わない場合もある。男キャラ同士が意味深な目線をかわしてたりとか、媚びた目線と服装の女キャラとか。

 世界観的、キャラ的に、オフィシャルと違うグッズがなぜあるかといえば、それらは消費者の妄想を具現化したものだからだ。「清純なアイドル」を提示すれば、「清純なアイドルのヌードが見たい」という需要が生まれる。ただし、これらは「アイドルが清純であること」が前提であり、キャライメージを補強する意味合いさえある。
 こうした媚び系のグッズは、やりすぎると消費者の反感を買う可能性もあるので、作る側としては慎重になることが多い。

 つまり、オフィシャルのグッズは、キャラを立てるためにある。世界設定、キャラ設定から外れた展開をする場合も、その方向性は、ほぼ完全に決まっており、それ以上は発散しない。キャラ設定を、斜めの方向に無視するようなグッズは作らないし、作ったところで「こんなのは違う」と言われるだろう。

 よってオフィシャルのグッズをオフィシャルであるというだけで皆が無批判に消費して、オリジナルが埋もれる……なんて事態は起きえない。
 なぜなら、オフィシャルはキャライメージを大切にしようとするし、消費者としてキャライメージから外れるものは無視するからである*3

 実際問題、マルチメディア展開する時は、それぞれを「オフィシャル」と認知させることが大変だったりする。「このCDドラマはダメだな」とか「コミックは別物」とか「ノベライズは糞だな」とか言われたりするんだ、これが。
 そうした時、たいていファンは、「原作者」を仮定し、その人が、どこまで関わってるかを審議の対象とする。気に入らないグッズ・展開に対しては、「こんなものは原作者の本意ではないはずだ」と言い出す。
 いやもう、本当に素朴な「作者=オリジナリティ信仰」がそこにある。

*1:いきなり結論から書いちゃうと、以下は、劇場版ナディアをオリジナルと認知してるやつがいたら連れてこいって話だ。

*2:これらは一つには「キャライメージ」が世界観の上に立つことを現しているのに過ぎない。重要なのはキャラクター=性格であり、バックの世界観ではないのだ。本来、キャラの性格と世界観は、切り離せないものなわけで、ファンタジー世界の人間を現代の文脈に置くことはできない、と論じることはできる。そのように世界観を交換可能なデータベースと捉えるのがポストモダン的な視点であると思うかもしれない。ただそれは間違いである。大衆娯楽において、キャラは消費者の感情移入を誘うためのものである。だから、どんな異世界、異文化を舞台にしても、根っこのところは現代人であって、本当に価値観の違うキャラなど、そもそも登場しない。背景が交換可能になるのは、大衆娯楽の必然である、といえる

*3:失敗したプロジェクトで、キャライメージを提示し損なって、ヤケクソなグッズを乱発する……という場合は、ある。まぁしかし、それは失敗であって、商業的にも大きな影響力はない