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今週も本題には近づかなかった。「しろうとうなぎ」みたいなコラムだな、しかし。
前号の「現代ファンタジー」のリアリティの元について、東はボードリヤールの「ハイパーリアル」を引用する。
東によれば、二種類の「ハイパーリアル」がある。
一つはヴァーチャル・リアリティのような「知覚的な」ハイパーリアル。そこにありもしないものが、現実並にリアルに知覚されるという体験である。
もう一つは、「記号的な」ハイパーリアル。ディズニーランドのシンデレラ城のごとく、明らかに非現実的で、本物でないと分かっているにも関わらず、リアリティを感じるもの。
東は、「現代ファンタジー」や、「まんが・アニメ的リアリズム」と、この「記号的なハイパーリアル」に関連を求め、以下のように書く。
「まんが・アニメ的リアリズム」とは何か、といった問題は、高度に哲学的な問題なのだ。だって、マンガやアニメに萌えるって、普通に考えておかしいだろう!
まず基本的なツッコミだが、「現代ファンタジー」の「現代」関係ないでしょ。
神話、伝説、おとぎ話に物語。人間は、ずっと昔から、記号的な世界にリアリティを感じてきた。
時代、場所によっては、人々が神話世界を現実として信じていたところもあり、嘘と知りつつ消費する現在とは区別すべきではある。
ただ、例えば、江戸時代の人が「南総里見八犬伝」をそのまま信じていたわけでもなく、シェークスピア時代の人が「真夏の夜の夢」を現実と思っていたわけでもない。
我々が、おとぎ話をおとぎ話と知りつつ、それを受け入れるようになってから、ずいぶん経つ。ある時は歌舞伎や浮世絵に萌え、また戯曲やイコンに萌え、そして現在、漫画やアニメに萌えている。
東氏の言ってる「記号的なハイパーリアル」が、もし、現代特有の現象を指し示すのであれば、それが単なるおとぎ話のリアリティと、どう違うかを、きちんと説明した上での議論になるだろう。
そのへんの疑問は、持ち越される。
カンのいい読者は、ここで分けた二つのハイパーリアリティが、それぞれ、ラカンの三界図式でいう「想像界」と「象徴界」に対応することに気づかれているだろう。鼎談ではキットラーの話題も出たことだし、次回はその方向で。
これを見る限り、どうせ検証抜きで「ポストモダンでは象徴界が衰弱して」とか言い出すんだろうなぁ。マイナスの期待を裏切られることを祈って、続きは再来週。