今回のメインは、2ちゃんねるについて。

 最初に釘を差して置きたいが、2chに関する議論というのは、大ざっぱすぎるものが多い。
 2chは、無数の掲示板の集合体であり、それぞれの掲示板、また掲示板内のスレッドごとに、様々な文化がある。荒らし上等な便所の落書き系のところもあれば、固定ハンドルがメインに使われており、そのへんの掲示板より礼儀正しいところもある。

 たいていの議論は、そのへんを無視して、漠然としたイメージ、気分としての「2ちゃんねる」について語られており、それはひどく大ざっぱなものとなる。要するに、「で、あんた、板何個回ってるわけ?」という話だ。

 このへんは重箱つつきだが、ただ、そういう姿勢なしに、安直に「2ちゃんねる」を語る言論には注意が必要だろう。

 で、座談会である。

 ここで鈴木は、「広告機能あるいは動員機能としての2ちゃんねるという側面について」語る。FLASHムービーを使った宣伝合戦、動員合戦を語り、「感動」という要素でまとめられていることを告げる。

鈴木:そうやって音楽と映像による扇動が進んでいく中で、本人たちは鶴オフなんかも含めて、すごく人間的だと思っているという状況がある。

北田:本当は――というかsecond orderの観察者の視点からすれば――動物的であるにもかかわらず、ですね。

 例えば、ここ。
 「本人たち」って言うけどさ。
 「全板人気トーナメント」に参加してた人たちというのは、2ちゃんねらーの中の何%なの? それは普段から板にコミットしてた人なの? それともお祭りに誘われてやってきた人なの? 鶴オフの参加者とはどれくらいかぶってるの? 動員というけれど、動員された人は何人で、それは2ch全体の規模からすると、どの程度なの?
 それについて調べた? 調べる必要があると一度でも思った?

 きちんとした基礎データを押さえずに、目に付く現象、語りやすい現象だけに飛びついて語ることを、本人たちは、すごく人間的だと思っている状況があるようだ。それはsecond orderの観察者の視点からすると、ひどく動物的であるにも関わらず、だ。

 冗談はさておき、「気分としての2ちゃんねる」論には意味がない。

 北田は、そのへん、少しは自覚的なようで、

『世界』の論文では弁証法的に「ネタの果てのベタ」なんてことを言いましたけれども、そういう部分は2ちゃん以外でも同時代的に観察されることだと思うんですね。

 と、比較的まともな一般論に落とす。