今回は、ファウストとのプロレスを離れて*1、なぜ、波状言論なりハカギックスなりを出すようになったか。

 東は、批評家になるには、おおざっぱに3つのルートがあると主張し、その問題点について語る。

一つは、文芸誌や論壇誌における新人賞システムであり、二つめは、大学関係者(含む知的専門家。たとえば翻訳家、精神科医など)からのリクルートであり、三つめは、業界内調達のシステム、つまり、編集者とかライターとか出版者に出入りしているバイトくん(エンタメ系の翻訳家だとこちらに含まれる場合も多いかもしれません)がいつのまにか批評家になっている、というケースです。

 しかし、このような状況は、批評の中立性とクオリティにとってはいささか危機的なものです。大学関係者が書く批評はおうおうにして小難しくて退屈ですし、業界関係者の批評は、それこそ業界と結託した「プロレス」になりがちで、それはそれで読者に届かない。かといって、新人賞の復活はいまさら考えにくい。

 そのために、インターネットや自費出版や口コミによる、「評判のゲーム」のルートを切り開きたいんだそうだ。

 まず言うまでもなく、ネット同人系「評判のゲーム」は、それはそれでバイアスがかかる。「評判になりやすい批評」というのは、それはそれで一つの方向性だからだ。
 2ちゃんのスレやブログのネタになりやすい話題は存在し、ネタの扱われ方も決まり切った部分が大きい。

 「評判のゲーム」の偏向は、往々にして商業より大きい。
 なぜなら商業において、ライターは、編集部から金をもらっている。編集部の認める限り、好きに書いていい。編集者の裁量において、「今はダメだが、、いずれよくなる可能性がある」あるいは「予算に余りがあるので、売れるものでなく個人的に良いものを残したい」という展望の元に、いろいろなものを書ける場合があるからだ。
 一方、「評判のゲーム」において、ライターは、読者の評判を、直接評価として受け、それにそって物を書くようになり、そういう展望が失われがちになる。
 
 ネットにはネットのプロレスがあり、それは、商業より大きかったりすることも多いのだ。もちろん逆のケースも多いけどね。

 あとすごく単純な問題として、批評家になりたいんだとすると、批評系同人誌やblogだけだと食いつなぐのは大変だし、そこから業界入りしたら、やっぱり業界プロレスに巻き込まれちゃうね、というのがある。

 もう一つの問題として、そもそもアニメや漫画といった娯楽ジャンルに批評が必要かどうか、というのがある。(一方の極論ではあるが)娯楽作品で批評性だのジャンル性だのという話が積もれば積もるほど内輪受けになって勢いを無くす、という例は事欠かない。今、現在、アニメや漫画の良作を探るために、「新人賞」出や「大学関係者」の批評に耳を傾ける人はいないし、その必要もない。業界情報は、批評ではないが役には立つ。批評が本当に必要なのか?

 と思ったら、東が考えているのは、アニメやゲームではなく、「一般に「ハイカルチャー」」と呼ばれる文学、純文およびその批評についてらしい。

アニメやゲームにおける消費者層の厚さは、質が高い(が宣伝のなかった)新海誠のような人材もチェックしうる。一方、ハイカルチャーは停滞していて、才能のある人間も押しつぶされるだけになりかねない、と。それはそうかもしれない。*2

 さて、硬直している現状に、新たな勢力、新たなルートを作ろう、というのは、大切なことだ。ネット/同人の批評には、ネット/同人の偏りがあるが、その偏りが、既存の批評とぶつかりあうことで、新しいことを生まれるのを期待するのは素晴らしいことだ。
 ただ、そこには、以上にまとめてきたような障害・問題が存在する。

○プロレス問題
 Hakagixは、そりゃもう積極的にvsファウストのプロレスを展開している。

○ジャンル問題
 Hakagixは、純文学についての批評誌ではない。「分厚い消費者層があり、それと当時に歴史を積み上げてきた同人流通の成熟がある」ジャンルに対する作品なんだけど。
 波状も含めれば、文学およびハイカルチャーに関する議論は大きく入っている。

○ビジネスモデル問題
 波状言論&Hakagixって儲かってるの? 赤字赤字ということばかり聞くんだけど。
 誰かが、それを真似することで、プロの批評家になれるの?

 こうまとめちゃうと、正直、「地道なインフラ整備」よりは、趣味の道楽に、屁理屈をつけているように見える。
 ただまぁ、プロレスを煽るのもジャンルに偏るのも、読者を増やしてビジネスモデルにつなげようと言う試みでもあるのだろうし、波状言論においては、多くの読者に、これまで意識されていなかった分野の批評を読ませた実績がある。
 そこは大きく評価すべきだ。ただし。

僕が、『情報自由論』の改稿を放置してまで(それは当然、こんなことばかりやっていたらあっちは放置になっているわけですよ! 関係者各位と、楽しみにしてくださっている読者のみなさんにはすまないと思っています、本当に)『波状言論』を出版し、コミケに出店しているのは、このような考えに基づいてのことなのです。

 東の目的の大本は正しいと思うんだが、人間、大義名分を持つと堕落しがち、というのも同様に肝に銘じなくてはならない。

 「波状言論」書いてコミケで同人売るのって楽しいでしょ? すごく苦しいけど、身近な仲間とわいわいやって自分の本作って売るのって楽しいでしょ?

 余計なお世話だが、その楽しさに、かまけてないか、というのを、考えてほしい。
 波状言論なりHakagixなりにおいて、「純文への誘導」という目的を忘れ去ってないか? 単に「自分の趣味」を重視していないか?(意識して重視するのなら問題ない。無理につまらないものを作る必要もない。ただし、意識していないなら問題)。
 ラノベ、ゲーム、アニメ以外の批評が、うまくいかないことの逃避に使っていないか。

 「情報自由論」読みたいんだけどなぁ。

*1:以下波状言論本文より引用。実は前回、このコラムで『ファウスト』の名前を出したときには某掲示板の東浩紀スレッドがずいぶん盛り上がったらしく、いまも、大塚英志信者の編集部員から「売上げのためにも、いまこそプロレスを! 新伝綺批判を!」とのリクエストが届いています。しかし、それはブログと本誌所収の共同討議でほとんどやってしまいましたし、プロレス的な読みばかりされても空しいので、今回はもっと話題にならなそうなことを書きます。

*2:でも、東の評価する、舞城王太郎は、批評など必要とせずに、市場を席巻した。文学とエンターテイメントの境などなく、面白いものは面白い、という立場に立つなら、舞城王太郎クラスの文学には、余計な手助けはいらないかもしれない。