12月号のメタリアルクティーク。今回は、HajouHakagixこと、「美少女ゲームの臨界点」について。
 東の語るところによると、「美少女ゲームの臨界点」の目的は、

美少女ゲーム全体をサーベイすることよりも、まずは「美少女ゲーム」に歴史を見いだすことの面白さ」を伝えることを目的にした。

そうだ。

 その発想の背景として、現在のオタク業界、ラノベ、アニメ、漫画、エロゲをクロスオーバーで語るような評論が無いことが不満だったという。

 どちらも、非常に納得はいく。

 面白い評論を作るために、多少偏っててもいいから、「なるほど!」と思わせるような歴史観を。
 エロゲに閉じたレビューではなく、オタクというジャンルの中で、それぞれが、どのような影響を与えあったかを検証する批評を。

 それらは素直に読みたいと思う。

 思うのだが。

 「美少女ゲームの臨界点」には、俺が読んだ限り、「歴史」も「クロスオーバー」も見あたらなかったんだよなぁ。

 冒頭の「美少女ゲームパーフェクトマップ」。これには、エロゲだけでなく、さまざまなアニメやラノベのタイトルも入っており、クロスオーバー部分をカバーしようという意図なのだろうけれど……中身が単純に意味不明だった。
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040917#p2

 インタビューに関しては、個人史であり、エロゲ史を作るデータとしては重要だが、史観は見えない。美少女ゲーム言説史も、同様。データとしては重要な労作であるが、史観ではない。

 座談会には、確かに歴史観はあるんだけど……「ガンダムエヴァ以来、ヘタレ主人公の悩みが重要な問題だったけど、FATEの主人公は、中身のない正義の味方でヤマト以前に回帰した」というもの。
 これは、史観としては、噴飯物すぎる。

 論考に関して言うと、東、元長の論考は、エロゲ史観を作るものではない。
 唯一、更科の「『雫』の時代、青の時代。」くらいだろうか。

 時間とジャンルの枠を越える批評というものの面白さを描く、という点では、もうちょっと頑張ってほしい、と思わざるをえない。

 東の言を読む限り、例えば、美少女ゲームについて知らない人が、「おお、美少女ゲームといっても、こんな歴史があるのか。面白そうだな」と思うような批評、あるいは、美少女ゲームをやりこんだ人が、「なるほど。あのゲームと、あのゲームは、こうつながってたんだ!」と思うような批評が必要だと思うのだが、それにはまだ遠い。頑張ってほしいものである。

 さて、話を面白くするために、全体を無視して、一断面をクローズアップする、というのは、場合によってはありだと思う。論考としてはペケだが、随筆ならOK。
 ただ、面白い断面を切り取るためには、基礎知識として、なるべく大きな全体像を持っていることが必要だ。
 単に自分の知ってる範囲の偏った作品を並べて線で結んだだけでは、「歴史を見いだすことの面白さ」は、決して伝わらないだろう。
 美少女ゲームの想像力が、オタクジャンル全体で、どのように絡んでいるかを批評する時も同様だ。

 偏った歴史観、ジャンル観を魅力的に見せるには、外堀をうまく埋める蘊蓄が必要になる。正直、美少女ゲームの臨界点では、そのへんも足りていない。

 常に思うことだが、東氏においては「オタクの正史を書いたり学んだりする能力」は、もっと重視してほしい。