ノベルゲームのシステムに関する説明は飛ばして、「現代ファンタジー」について。

 佐藤心は、「現代ファンタジー」をプレイヤーが親近感を感じる現代世界に、節操無く他ジャンル(日本妖怪、西洋魔術、オタク文化)を入れ込んだものと説明する。

 こうした「ジャンル崩壊以降のジャンル」を特徴づける世界観を、私たちは広い意味で「現代ファンタジー」と呼んで構わないだろう。そこではもう異世界/現実世界という二項対立は機能せず、作中人物は「異界往還譚」という通過儀礼を生きない。

 まず、ツッコミの一。
 現代を中心に無節操に受ける要素をぶちこんだエンターテイメントの元は、少なくとも菊地秀行夢枕獏を中心とする伝奇ノベルに遡れる。
 菊地秀行のデビュー作「魔界都市新宿」は、「崩壊した新宿」というバイオレンスジャックな世界に、和洋中様々な怪物、魔術、伝説から、現代兵器、未来技術まで、とにかく何でもぶち込んだ作品だった。
 佐藤心がどう考えてるかは知らないが、少なくとも東の言う「90年代のオタク文化」に限定されるものではない、と言っていい。

 ツッコミの二。
 現代ファンタジーな世界観でも、「現実/異界」の二項対立は機能しうるし、作中人物は「異界往還譚」という通過儀礼を生きることはある。
 いい例が「月姫」だ。
 この作品において主人公は、魔術、魔物について何も知らない状態から、様々な魔物が跳梁する現実のもう一つの姿(=異界)を見せられ、そこで様々なものを失い、また、新たに得ることで(通過儀礼)、最終的に元の日常に帰ってくる。

 この時点で「現代ファンタジー」というのは、どこにでもある普通の作品に過ぎない。

 先を読んでゆくと、もう少し限定された「現代ファンタジー」像が浮かび上がる。どうやら佐藤心が「現代ファンタジー」の特徴としたいのは、「異界と現実の位置を決めるための、SF的ファンタジー的設定が失われた世界観」「それによって日常/非日常の境目が消えた作品」らしい。

 その場合、作品としての「月姫」は、全く現代ファンタジーではない。この作品では、日常/非日常の境は、「侵犯する異界」という形で明確に描かれている。また、現実と異界の距離を設定する世界観は、非常に綿密に作られているからだ。

 あとで、佐藤も、「月姫」にこめられた作家性は、ギャルゲー的なリアリズムと対立すると書いている。

 ……なら、「月姫」が「現代ファンタジー」とか最初から書かなきゃいいものを。

 さて「ギャルゲー運動」だが、この文章を読む限り、それは、ギャルゲーから、異界と現実、日常と非日常を区別する世界観が失われ、ネコミミもアンドロイドも幽霊も幼なじみも同一線上に並んで、誰も、それを疑わないような作品群が作られること。また、既存の作品の二次創作で、そうした世界観のない作品群が再生産されること、らしい。