まとめておこう。この号で、佐藤が提示した「現代ファンタジー」は、私見では、2軸で分類できる。

・全体的な定義:複数の世界観から、様々な要素を引っ張って、ごっちゃにしたもの。

・軸1:世界の内的な必然性。軸1によって、現代ファンタジーは、以下の二つに分けられる。

・現代ファンタジー1:ごった煮世界観ではあるが、内的な必然性は存在しているもの。どうして、そういう世界なのか、なぜ、そんなキャラがいるのかという疑問が意味を持つ世界。「魔界都市新宿」「サイコダイバー」「月姫」「ブギーポップ」他。

・現代ファンタジー2:ごった煮世界観であって、世界設定が内的な必然性を失ったもの。アンドロイドと幽霊と狐と幼なじみが一緒にでてきて、別に、誰も疑問に思わないような世界。一部のギャルゲーなど。

・軸2:日常と非日常の区別。軸2によって、現代ファンタジーは、以下の二つに分けられる。

・現代ファンタジーA:ストーリーの中で、日常と非日常が分けられ、主人公が、その間を往還する物語。「To Heart」「KANNON」「Air」そのほか、たいていのゲーム。

・現代ファンタジーB:ストーリーの中で、日常、非日常の境は消滅し、永遠の日常が繰り広げられる世界。たいていの二次創作作品におけるシチュエーションドラマ、コメディ。

 佐藤の主張のギャルゲー運動では、ゲームは1−Aから2−Bに移動しつつある、ということなのかもしれない。
 しかし、1から2の動きは、「月姫」や「デモンベイン」のような作品を無視している。ある程度の世界観を大切にするゲームは、これまでも、これからも作られるように思える。
 また、A、Bの違いは、長編、短編という媒体によるところが大きく、消費者が二次創作としてBを消費するからといって、Aが求められていないわけでもない。

 東が「現代ファンタジー」を引用する時、「2−B」への流れを念頭においてる気がするが、実際に引用してる作品は1−Aが多いことにも注意しなくてはならない。