今回は、モダンにおける「大きな物語イデオロギー」について。

 モダンにおいては「大きな物語」が共有されポストモダンにおいては、それが崩壊した、ということになってるが、その「大きな物語」って何よ、ということである。

このような主張には多くの反論が寄せられている。このような理解だと、そもそも昔からそんな「大きな物語」など存在していないようにも思えるし、逆に「大きな物語」はいまでも活き続けているようにも見えるからだ。

 で、東氏の主張では、モダンにおける「大きな物語」というのは、単なる価値観ではなく「メタゲームを止める装置」であり、「何かをベタに信じていること」と「それに対してシニカルであること」のバランスを取る装置である、と、主張する。

 人間の思考の機能として、様々な対立する概念を比較し、一般化して、よりメタな(高い)位置から分析するものがある(メタゲーム)。
 一方で、そうやって分析し続けるのが止まらないと、あらゆるものを信じられなくなって、具体的に行動することが不可能になる。
 どこかで、メタゲームを終わらせる必要がある、というわけだ。

 東氏は、ここで、そうした「大きな物語」の例として、最近のイラク情勢における、2ちゃんと、朝日新聞の関係について語る。
 ここでは、「朝日=タテマエ。社会を代表するがウソっぱち」「2ちゃん=ホンネ。真実だが、社会を代表しない」という、シニカル/メタな価値観がまかり通っている。
 その一方で、そこで完全に思考停止しており、そこからさらに踏み込んだ議論は、されていない。

 つまり、彼らは、シニカルなスタンスを、ベタに信じており、つまるところは、「朝日新聞」という大きな物語が、メタゲームを止める装置として機能しているということになる。

 どうして、こういうことが起きるかについて、小島寛之『確率的発想法』という本を紹介してるので、こんど読んでみよう。

 ひとつツッコミを入れておこう。

朝日新聞は日本の近代主義を代表するマスメディアだが、2ちゃんねらーの多くは、朝日新聞は真実を伝えない、2ちゃんねるのほうが現実を反映するメディアだと考えている。

 「2ちゃんねらーの多く」って……誰よ?
 東が、ここで示唆してるのは、ニュース系の板の言説である。
 で、2chを利用してる人間の圧倒的多数は、別にニュー速になんか書いてないだろうし、読んですらいないだろう。

2ちゃんねるを舞台とした言説は、いまや圧倒的に保守的になってしまっており

 ……というのと、2ch利用者が、その言説を信奉している、というのは、まったく別のことだ。まず、東氏に、それをチェックしようとする意志すらないのが引っかかる点。

 あと、そもそも、共同体の人数が少なければ、尖った意見の交換が活発に行われることもあるが、人数が増えれば増えるほど裾野が増えて、尖った意見が出にくくなり、わかりやすい(=あまりメタじゃない)意見が共有される、というのは、すごく普遍的な現象であろう。2chというのは、今、そういう場所になった。

 だとすれば、今後、ネットを中心とした新しい動きが出てくるとすれば、それは、朝日的価値観と2ちゃんねるの対立から自由な――つまりは、タテマエを信じないだけでなく、タテマエを批判することそのものもあまり必要としないような、強靱な動機をもった個人発信のブログになっていくだろう。実際に、ネットの流れは徐々にそちらに向かっているように思う。

 これは、あまりにも楽観的すぎる意見ではなかろうか。
 人数が増えれば、なれ合いによって平均値は下落する。これは、2chでなくても、個人のページ、ブログでも変わらない。今、そのへんの、フツーの人の日記ページなり、ブログなりを読んでも、「朝日/ネット」的な単純なイデオロギーに含まれてる言説があふれている。

 その中で、他者に流されない「強靱な動機を持った個人発信のブログ」は、あるだろう。
 ただし、普通に考えてそれは例外として存在するのであって、「ネットの流れは徐々にそちらに向か」ったりしない。

 そういう「すごいブログ」が現れたところで、他の人は、意味がわからないか、信者/アンチとなって、イデオロギーの一部になるのが関の山である。
 「よし、俺も、彼の意見を参考にしつつも、そこで思考停止せずに、全く新しい思考の地平を切り開いてやる!」と決心して、そうできる人というのは、いつの日も、数少ない。
 2chがダメになったから、次はブログ、というのは、頭が悪い意見だなぁ、としか。

 さておき、そういうわけで、東氏からすると、2ちゃんというのは、近代なんだそうである。
 で、最初の、東氏の主張に戻ってみよう。

このような主張には多くの反論が寄せられている。このような理解だと、そもそも昔からそんな「大きな物語」など存在していないようにも思えるし、逆に「大きな物語」はいまでも活き続けているようにも見えるからだ。

 えーと、やっぱり2chにおいては“「大きな物語」はいまでも生き続けている”ことになっちゃうんだけど……それで、いいの?

次回は、いよいよ、近代社会のネタ/メタ分割(映画モデル)と、ポストモダン社会のネタ/メタ分割(データベース・モデル)の違いについて語ることにしよう。

 これに期待。