その1:世代的な混乱

 人気のある作品について、「第1世代、第2世代」に受けた作品と、「第3世代」に受けた作品が、いっしょくたになっている。そのままだとブームが方向性を見失う、だそうだ。
 何度も書いているが、このへん、一番、見失ってるのは東浩紀なので、どうでもいい。
 「ファウスト」と「イノセンス」は受けるオタクが違う、とか、言ってるけど、でも、「ファウスト」買うような読者は、「イノセンス」にブツブツ批評してないか?

しかし、「ほしのこえ」のような例外的な作品を除き、従来のアニメ・ゲーム消費者と、1990年代後半に現れたギャルゲーオタクの志向はかなり異なっている。そこをしっかり捉えないとブームは方向性を見失うことになるだろう。

 上記、文章自体がかなりの悪文だ。「ほしのこえ」が、どのように例外なのかがわかりにくい。旧世代オタクと新世代オタクの両方に受ける作品だ、という意味なのだろうか?

 さておき。
 「ギャルゲーオタク」なんて層は、吹けば飛ぶほどの数しかいない。だから、そんな人たちの志向に合わせても、「オタクの一般化」という意味では無駄だ。
 「わたおに」が売れ、「リカヴィネ」が売れたところで、社会的認知は増えなかったのだ(当たり前)。
 また言うまでもなく、ギャルゲーオタクの志向は偏っており、その志向を前面に出せば出すほど客を選ぶことになる。つまり、それは、売れない。

 無論、ギャルゲオタも、王道な娯楽は好きなので、ギャルゲオタらしさを薄めて、一般受けする方向に持ってゆくことはできる。
 でもそれを、東は「世代的混乱」と言ってるように見える。