2004-01-01から1年間の記事一覧

ここ最近、「crypto-survival noteZ」の記事しか書いていない。 id:hazuma:20040629より。 さて、まずは残念なお知らせです。著者急病および多忙のため「crypto-survival noteZ」を今号と7月号、休載させていただきます。楽しみにしてくださっている読者の…

AIRとかCLANNADとか

久しぶりにゲームラボの記事。今回のお題は、CLANNADとAIR。以下は要約。1.エロゲの一側面として、彼女をゲットして家族を作り、社会的に認められること、すなわち「父」となることの欲望を、ゲーム上で味わうというものがある。2.しかるにKEYのAIRでは…

映画モデルとコンピュータモデルの話がないな、と、思ったら、今号で書かれていた。 というわけで、おさらい。 東氏によれば、近代というのは、メタレベルと、オブジェクトレベルが、うまく結びついていた時代である。 つまり、一つの大きな価値観があった時…

さて森川は、オウムのように空間感覚が欠落した存在として、「オタクの部屋」について語る。 オタクの部屋の典型は、物がいっぱいで乱雑であり、これはオタクが現実の部屋の空間の感覚価値を下落していることを表すんだそうだ。 で、これもオウムと話は一緒…

森川嘉一郎の「趣都の誕生」が見つかったので、前に書いていた懸念点等。 最初に書いておくが、「趣都の誕生」全体は良い本である。秋葉原という街の成立と変遷を、きちんとしたデータを踏まえて追ってゆく著者の筆致とその結論はスリリングだ。 以下の批判…

さてさて、あらぬ方向に話を振り続けてきたcrypto-survival noteZ、10号にしてやっと、モダンとポストモダンの違いについて具体的に言及したのだけれども。 内容が肩すかしなところは変わらない。過去の文章の末尾を見てみよう。 近代社会のネタ/メタ分割…

さて、人は何かを信じるものであり、また、それを疑うものである。 何かを信じる“ベタ”な心は、人が行動するために必要だが、さりとて盲信は危険である。視野が狭ければ、他人のことを考えられなくなる。 一方、自己を客観視する、すなわち“メタ”な立場に立…

CCとか

Creative Commonsという運動がある。 Commons……リソースを皆で共有することで、Creative……作品を創造することを支援しようという運動だ。 ……といっても、何がなんだか、わからないだろうから、ちょっと説明。 小説、映画、音楽、漫画、あるいはウェブページ…

Winnyとか

http://www.hirokiazuma.com/archives/000093.html http://kiri.jblog.org/archives/000696.html#more 東氏の主張と、切込隊長氏の批判。 心情的には、東氏に賛同。 現行の著作権は、メディアの変化によって変わる必要がある。どう変わるかは、今、たゆたっ…

今回は、モダンにおける「大きな物語/イデオロギー」について。 モダンにおいては「大きな物語」が共有されポストモダンにおいては、それが崩壊した、ということになってるが、その「大きな物語」って何よ、ということである。 このような主張には多くの反…

この日記を書いていて、コメント欄などで感想をいただく時がある。賛成の時もあるし、反対の時もある。どちらも、参考にさせていただいている。 反対の中には、いくつかのパターンがあり、その中で多いのは、「望月は、東が引用する思想家の主張をわかってい…

理論と一般性

id:hazuma:20040420の記事より。新現実vol3の表紙にイヤミを言ったあと、東は、こうつなげる。 そして、それを見て考えました。僕が「動物化するポストモダン」で本当に行いたかったのは、「解離的な人間」についての話です。僕的には、萌えとメタが不可分に…

ちなみに前半は、東的なポストモダン史観のまとめ。ベタとネタの乖離など。 これまでの東の理論がまとめられている。 ポストモダンな社会とは、単一の価値観がなくなって、複数の価値観が混在する世界である。 よって、そこに住む人間は、単一のリアリティ、…

まずは路線変更について。 当初は、作品論、状況論でアクチュアルな状況を語る予定だったのだが、そっちは波状言論のほかの記事で満たされてるので、こっちでは抽象的な議論をする方向に向かってきたこと。今後、その方向で書くのだそうだ。 抽象議論はいい…

前号の鼎談後半の感想、書いてないけど、多分、書きません。期待してる向きがもしあったら、もうしわけない。

まぁ、若い世代が自分の体験を特権化したがって、上の世代が「昔となんも変わっとりゃせん」というのは、万古普遍の(おっと、これも上の世代の決めつけか?)光景なわけですが。 自分が、上の世代側に立つようになったかと思うと、少し、感慨深いですね。 …

これまでにあがったファウストさんの言説をまとめてみる。 まず、基本的な理屈として、・ポストモダンになると「物語の超越性」が失われる。 ・それによってストーリーが完結しても、それを無視して、要素(キャラ)が一人歩きし、無数のシミュラークルが作…

時代小説というジャンルがある。 わりと年のいったジイサンが縁側で茶をすすりながら読むのが似合うような、そんなジャンルだ。ストーリーも、ジイサン向けの、人生の悲哀とか侘びさびとかをテーマにしたものも多い。 そのルーツはどこにあるか、というと、…

ポストモダンとデータベース消費

さて、ファウストさんとの議論が長くなってるので、個人的にまとめ。 まず、ここでしてるのはファウストさんとの議論であって、ファウストさんの理論の正否は、必ずしも東浩紀の理論の正否ではない。 ファウストさんの言う「データベース消費」とやらが、そ…

コメント欄が長くなりすぎたので引っ越し。 波状言論の後半についてが残ってるけど、そのうち書くかも。書かないかも。

議論の後半で、北田および東は、オタクと主婦が、社会的に作られた地位であるにも関わらず、当人たちが、それを自分の本質だと考えている点で類似している、と指摘する。 順番に見てゆこう。 まず、オタクが社会的に作られた地位であるということ。それはそ…

ベタな感動

「感動」が動員要素になっているという点について、北田は、以下のように書く。 北田:(前略)そういう流れが、弁証法的に必然的な歴史性をもっているかはわかりませんが、1990年代後半からバーっと見られるようになる。2ちゃんねるでも広告というか動員の…

今回のメインは、2ちゃんねるについて。 最初に釘を差して置きたいが、2chに関する議論というのは、大ざっぱすぎるものが多い。 2chは、無数の掲示板の集合体であり、それぞれの掲示板、また掲示板内のスレッドごとに、様々な文化がある。荒らし上等な便所…

今週は、作品批評は脇において、ラカンの三界説を扱う意味について。 東は、ラカンの説が実証性を持たないことを前提に、なぜ、それを意識する必要があるかを語る。 心そのものの働き、たとえば認知科学的な意味ではラカンの説はナンセンスである。だが、特…

佐藤がギャルゲー運動について述べている箇所を見てみよう。 したがって私たちはとりあえずの結論を簡潔に述べよう。九〇年代後半以降に生まれたギャルゲープレイヤーは孤独な存在である。ゲームプレイの一部始終は個人的なレベルに属するからだ。しかし本論…

さて、佐藤の「現代ファンタジー」は、もう一度引用すると、以下のようなものである。 こうした「ジャンル崩壊以降のジャンル」を特徴づける世界観を、私たちは広い意味で「現代ファンタジー」と呼んで構わないだろう。そこではもう異世界/現実世界という二…

日常/非日常

まず基本的なところから。 前回の記事のコメント欄では「日常/非日常」という単語が濫用されて話がこんがらがったので、きちんと分けてみよう。*1 日常、非日常と言った場合、まず、世界設定、風景としての「日常/非日常」がある。この場合、日常は、現代…

「ギャルゲー運動]

マルセルさんに、色々まとめていただいて、感謝。前の書き込みで、いくつか言葉が足りてないところがありましたので、改めてまとめてみます。

http://diary.note.ne.jp/d/38638/20040325.html 実は私は月姫がどのくらいの認知度があったのかが、よくわからないのですね。 もっと言えば、月姫が認知されていたのは(コミケにいくような)エロゲオタ/エロゲ業界周辺だけだったんじゃないのかな、と思う…

付記

http://diary.note.ne.jp/d/38638/20040324.html 地雷犬さんの日記より。 後半の「もしこういう認識が存在するとしたらそれってどうよ、的なものをメモっておきます。」という箇所について。 一応、俺の記事に懸かっている部分もあるので、フォローを。 3:…